第六章  友人の契り

ガラブのうしろからついて来るモハマッドの姿を、モアマール・カダフィー大佐は窓越しに、じっと見つめていた。
「ガラブさんと一緒にいる青年は誰だ?」
モアマールは、お付の将校に訊いた。
「いえ。知りません。初めて見る人物です」
直立不動で、若い将校はモアマールに答えた。
「中尉。君と同じくらいの年恰好だな。君は何才になったかね?」
若い将校の名前はマンスール・アル・ヒラジ中尉と言い、モハマッドより4才若い22才だった。
マンスール・アル・ヒラジという名前はイスラム世界ではモハマッドと同じぐらい伝説的な名前である。
イスラム教にはスーフィズムという密教があり、教条主義的な大乗回教に対し、真実の人間探求をするのがスーフィズムであり、その代表がスーフィー・マンスールだ。
モアマールは敬虔なイスラム教徒であるが、教条主義に反発してスーフィズムを信奉していた。
世界には、いろいろな宗教があるが、教条主義的大乗宗教には、必ずと言っていいほど密教が存在する。
新しい宗教が開祖によって誕生した時は、開祖の原始的な教えが浸透した、いわゆる小乗宗教であり、そこには教条主義的色合いは一切無い。
それが、組織になるにつれて大乗的、教条主義に陥っていく。
その中で、本来の開祖の教えを目立たないように守っていこうとする人たちがいる。それが密教となるのだ。
イスラム教にも、本来の人間探求を重視した密教があった。
密教世界では、どんな宗教も目指す処は同じで、万教同根の精神が基本にあるから、宗教戦争のような異教間の対立はない。
自分たちの都合で創りあげた神を崇めるのではなく、人間本来の在り方を探求するが故に、結局は同じ処に辿り着くのは当然なのである。
宗教の真髄は密教にあり、信仰心の基本も密教にあると言っていい。
イスラム教の密教スーフィズムの世界でマンスール・アル・ヒラジはイエス的存在である。
モアマールは彼を信奉していた。
若い将校マンスール・アル・ヒラジを、自分の付き人にしたのも、この青年がスーフィーのマスターだったからだ。
イスラム教の神秘主義であるスーフィズムを受け継ぐのは、5才ぐらいの子供の時から、その資質を見抜き、スーフィズムのマスターに育てる伝統がある。
チベット密教のダライ・ラマの発掘と酷似している。
この青年将校は、その継承者に選ばれたのだが、教条主義のイスラム教から迫害を受けて、エジプトのアブシンベルに身を潜めていたところを、革命に成功したモアマールが引き取ったのだ。
そして、彼の名前をマンスール・アル・ヒラジと改名させた。
「イスラム教も、ユダヤ教、キリスト教と同じだ。救世主を待ち望みながら、実際に現れると殺してしまう。こんな宗教は、人殺し集団以外の何者でもない」
マンスール青年を付き人としながら、彼はスーフィズムのマスターとして尊敬していた。
革命を企てるのに、モアマールは、エジプトとスーダンの中間にあるナイル流域のアブシンベルに身を潜めていた時期があった。
その時にこの青年と出会ったのだ。
伝説的なアル・ヒラジの話を、この青年から聞いてモアマールは感激した。
そして、今でも毎日思い出しては感激の涙を流す。
「昔、ひとりのイスラム教徒がコーランを熟読して、読誦(どくじゅ)出来るほどになっていた。
突然、彼は、アラーの神は唯一神などではなく、誰の中にもいると悟った。
そして、みんなの前で、『Anal Hak(アナル・ハク)!』と叫んだ。
『我は真理。我は神!』という意味だ。
インドのゴータマ・シッダルタが、『すべての人間の中に神性がある』と悟ったのと同じである。
ところが、イスラム教の教義では、アラーの神だけが唯一の神である。
イスラム教徒は、彼がアラーの神を冒涜したと思った。
イエスは『我は神の子』と言って、『イエスは律法を犯した』と当時の権力者であるパリサイ人律法学者によって十字架に架けられた。
イスラム教徒たちも、アラーの神を冒涜したと怒り、マンスールをイエスのように十字架に架けた。
そしてイエスの磔刑も霞んでしまうばかりの拷問を加えた。
まず十字架に架けたマンスールの両足を切り落した。
それでも、彼は『Anal Hak(アナル・ハク)!』と叫び、歓喜の想いで、笑っていた。
今度は、彼の手を切り落した。
それでも彼は生きていた。そして『Anal Hak(アナル・ハク)!』と依然叫んで笑っていた。
更に、舌を切り取り、目をくり抜いても、彼は生きていた。
そして、心の中で、『Anal Hak(アナル・ハク)!』と叫び、笑っていた。
そして最後に首を切り落された。
イエスの磔刑どころではない、凄まじい拷問を受けても、彼は自身の神を信じて至福の境地にいた」
この話を聞いた、モアマールは宗教というものが、残酷さと、崇高さの両面を持っていることを、この青年から教えられた。
そして崇高な面は、決して表には出ないものであることを知り、スーフィズムに入ったのだ。
テロリストのイスラム原理主義の背景には、このスーフィズムがあることを、誰も理解していない。
ましてや、キリスト教世界の欧米諸国が理解できるはずもない。
『アメリカを筆頭に、キリスト教欧米先進国の独善性・偽善性は、イエスやマンスールを殺した同朋が故の骨肉の憎悪心が、その背後にある!』
モアマールが、徐々に独善的、偽善的国家の代表であるアメリカを敵対視するようになっていったのも、こういった背景があることを見逃してはならない。
豊かな石油産油国の国家元首でありながら、陸軍キャンプに住むのは、崇高な宗教の面を信じるからこそできることである。
「カダフィー閣下。お久しぶりです」
大佐室に通されたガラブは、神妙な態度で礼をした。
「ガラブさん。いつもの調子でお話しましょう。わたしは閣下なんかではありませんから」
モアマールとは、革命前の陸軍少佐の頃からの知り合いで、アブシンベルに潜んでいた時も、ガラブはモアマールに協力をしていた。
しかし、今や国家元首であり、エジプトのエネルギーの供給は彼の国から受けているのだから、無礼な態度は許されない。
「そう言われましても、まわりのお付の方たちの手前、そんな失礼なことは出来ません」
モアマールは笑って、マンスールの方を向いて言った。
「彼は、確かに付き人ですが、わたしの師でもあるのですから、そんな心配はご無用です。それより、隣におられる青年とは初対面ですね」
モアマールはモハマッドの方を向いて笑いながら言った。
『これが砂漠のライオンと言われている人物か』
モハマッドは緊張していたが、逆に、この人物の体全体からかもし出される雰囲気で緊張が和らいでいくのに驚いていた。
「モハマッド・ハッサンと申します」
自分から名乗り出たモハマッドは、横にいる付き人のマンスールの磁力に引き込まれそうな感じを持った。
「モハマッド?ガラブさんと同じ名前ですね。しかもモハマッドとは・・・」
モアマールは顔を上げながら、何か物思いに耽っている様子だった。
「本日、お伺いしたのは・・・」
ガラブが喋り出そうとすると、モアマールはガラブを制して言った。
「エジプトへの石油供給の件でしょう。今まで通りバレル10セントで供給しますよ。心配しないでください。エジプトは我々アラブ諸国を代表して戦ってくれているのですから当然の協力です」
カダフィー国家元首は、革命直後、アメリカのオキシデンタル社と石油公示価格交渉で、バレル1ドル50セントの引き上げに成功した。
その15分の1の価格でいいと言う。
ガラブのミッションは1分も掛からない内に達成された。
「それより、新しいアンアール・サダト大統領はどんな人物ですか?」
訊かれたガラブは、慎重に言葉を選んで答えた。
「エジプト革命の時から、亡きナセル大統領と同じ自由将校団の仲間でした。スーダン人の血が混じっていて、ナセル大統領とはまったく正反対の、温厚な性格の方で、閣下と同じで、争いが大嫌いのようです」
静かに聞いていたリビア国家元首は、モハマッドの方を向いて、「モハマッド・ハッサンさんは、どう思われますか?」と訊ねてきた。
第三次中東戦争に参戦した時のことを思い浮かべ、モハマッドは、『アラーの神などどこにもいない』と感じたこと、それ以来、イスラム教不信に陥ったことなどを話した。
「マンスール中尉と友人になられることを、お薦めしますよ。モハマッドさん」
モハマッドに対しても、丁寧に対応するリビア国家元首に、モハマッドは感激した。
「今後とも、よろしくお願い致します」
マンスールの方から、握手を求めてきた。
モハマッドも微笑ながら、強く握手をして、友人の契りを交わした。
「こんな軍のキャンプですので、大したもてなしも出来ませんが、今晩は楽しい晩餐になるでしょう」
笑いながら、実に穏やかな表情で喋る、国家元首を見て、モハマッドは思った。
『これが狂犬カダフィーと呼ばれている人物の真実の姿なのだ。世間の評判など真に受けていたら、とんでもないことになる。だが、ほとんどの人間が、歪められたマスコミの情報に洗脳されている愚かな大衆なんだ。どうしたら、真実を伝えることが出来るだろう』
直立不動でモハマッドの前に立っていたマンスール中尉は、モハマッドの心中を察知して、「わたしも、そのことを今考えていました。もっとあなたと話をしたいと思っています」とモハマッドに告げた。