第五十七章  アラビア聖書展

ドッキにあるフンドック・シェラトン(シェラトンホテル)にチェックインしたモハマッドは、カイロの街の中心地カスールニールに行ってみた。
フンドック・アトラス(アトラスホテル)という古いホテルだが、昔からカイロで3本の指に入ると言われているベリーダンサーが、このホテルでショーをしている。
彼女の名前は、アバス・ハッサンと言う。
モハマッドは彼女に会うために、タクシーの運転手にフンドック・アトラスに行くよう指図した。
「お客さんの乗った場所は、カイロ大博物館でしょう。いまあそこではアラビア聖書展が催されていて大変な人気なんですが、行って来られたんですかい?」
「ああ、そうだ」
モハマッドは不愛想な返事をしたが、運転手は興奮していてますます流暢になる。
「聖書っていう奴は、コーランの原典になる代物で、ヨルダンとパレスチナの国境にある死海の傍で発見されたというのが通説なんですが、実はサウジアラビアのジェッダで発見されたっていうのが真相らしい・・・」
得意気に喋る運転手の話など殆ど聞いていなかったが、その話を真実だと内心で呟くのだった。
「そうでないと、まったく学のないモハマッドが、コーランなど書けるわけないでしょうが・・・ねえ、旦那!」
突然、「学のないモハマッド」と言われて、上の空だったモハマッドが運転手の方に目をやった。
返事を待っているらしい。
空港からホテルまでのタクシーの中で観た夢は、イエスが旧約聖書に書かれてある教えを以って、当時の支配階級であったパリサイ人律法学者の連中を糾弾した話である。
イエスはその教えを何処で受けたのか。
インドにまで足を伸ばしたというイエスだが、実はヘブライ人の祖先であるアブラハムの誕生の地であるウルに行ったらしい。
ウルという町は、現在のイラク国内にあり、ユーフラテス川とチグリス川が合流する地点から近いところにある。
アブラハムはそこからパレスチナの地に移って、神との契約の地カナンに辿り着いた。
一方、ウルを南下するとサウジアラビアのネフド砂漠にぶつかり、ネフド砂漠を渡ると紅海に出て、ヨルダンの港町アカバに辿り着く。
イスラム教を興したモハマッドは、アカバから更に南下した処にあるメディナで生れた。
イスラム教のメッカは、まさにメディナのすぐ傍にあるメッカである。
紀元7世紀に旧約聖書の教えを基にモハマッドがイスラム教を興した理由は、イエスがメディナ、メッカの近くにある古い港町ジェッダにやって来たことがあるからだ。
ではイエスがわざわざサウジアラビアのジェッダまでやって来たのか。
ジェッダに聖書があったからである。
旧約聖書が書かれたのは、紀元前2、3世紀の頃であるから、およそ200年程度しか経過していない伝説は、信憑性が高かったのだろう。
アラビア聖書展は、その根拠を示す催しであったのだ。
旧約聖書を絶対信頼するユダヤ教徒たちにとっては、腸が煮えくり返る催しである。
フンドック・アトラスに定住しているアバス・ハッサンに是が非でも会わなければならないと思うモハマッドだった。
「お客さん、フンドック・アトラスと言えば、あの有名なベリーダンサーのアバスがいるところでしょう?彼女、カイロ大博物館のホステスになったらしいですぜ・・・ご存知ですかい?」
バックミラー越しに座席を見た運転手だったが、そこには誰も座っていなかった。