第三十四章  ゲオルグ・ハシム

1974年11月。
「ゲオルグ・ハシム大佐。東ドイツへ赴任を命ず」
KGB議長ユーリー・アンドロポフが若きエリート将校をホーネッカーの支配する東ドイツに送り込んだ瞬間だった。
ゲオルグ・ハシム28才。
ウクライナ共和国出身のKGBエリート将校は彗星の如く、冷戦の舞台に登場した。
アメリカ合衆国では、ニクソンがウォーターゲート事件で失脚した後、副大統領だったジェラルド・ルドルフ・フォードが、この年の8月に大統領に就任していた。
極右思想の鷹派だったニクソンに比べて、フォードはリベラルな穏健派だったことに乗じて、アンドロポフは一気に世界の共産化を推進するべくKGB幹部を世界の国々に送り込んだ。
1961年。フルシチョフはベルリンを東と西に分断したが、西側の地下組織が暗躍していたのを、壊滅させる必要があった。
ホーネッカーが経済援助を条件に東ベルリンの維持を約束すると、フルシチョフに直談判したのだ。
それから13年、フルシチョフに取って代わったブレジネフもワルシャワ条約機構加盟国の中で東ドイツを最優遇する政策を採って来た。
その結果、チェコやハンガリーで反ソ運動が起こり、アンドロポフはその弾圧に力を発揮したが、ホーネッカーだけはアンドロポフを無視し続けた。
「ゲオルグ・ハシム大佐。おまえの任務はホーネッカーの首を獲ることだ。本当に奴の生首を土産に持って帰って来ることを期待している」
アンドロポフはニヤリと笑いながら、ゲオルグ大佐に長年愛用してきたモーゼルC96を手渡した。
『俺はもうエジプトのモハマッド・ハッサンではない。キエフ出身、モスクワ大学心理学専攻のエリート、ゲオルグ・ハシムだ』
冷戦の最前線はベルリンである。
その最前線の司令官として、1974年11月8日午前10時。
モハマッド・ハッサンことゲオルグ・ハシム大佐は東ベルリンに向かった。
『敵は壁の向こうではなく、こっちだ』
東ドイツの支配者ホーネッカー議長の首が彼の標的だったのだ。
モスクワ郊外にあるKGB専用空港から、ゲオルグ大佐は1500kmの旅へとヘリに乗った。
ワルシャワまでの900kmを2時間で飛んだヘリは、ワルシャワ郊外の補給地に下りた。
「ここからは車で移動して、国道1号線を西に向かいます」
ヘリのパイロットがゲオルグ大佐に言った。
『もう戦いは始まっているんだな』
モハマッドは呟いた。