第三十一章  モスクワへ

1974年3月。
カッターラの潅漑プロジェクト式典の日に襲って来た、とてつもない大きなハムシーンから1年が過ぎた。
モハマッドは、KGBの指揮下に入って本格的テロリストの訓練をシェラキア砂漠の中で受けた。
「モハマッド。紹介したい人物がいるから、一度モスクワに来ないかい」
モスクワのアンドロポフから電話がかかってきた。
モハマッドにとっては願ってもないことだった。
「ええ」
この1年間の訓練で、モハマッドは無口になっていた。
「喋る度に、寿命が縮むと思え。長く生きたいと思うなら喋らないことだ」
こう言い続けられて訓練を受けてきた1年だったからだ。
「赤の広場から歩いて5分ぐらいの所にKGB本部がある。モスクワ空港からタクシーに乗りジェルジンスキー広場のKGBと言えば、どんなタクシーでも無料で連れて行ってくれるよ」
モハマッドは黙っていた。
しかしアンドロポフはよくわかっていた。
「明後日のエアロフロート35便に乗るんだ。手筈はすべてしてあるよ」
そう言ってアンドロポフは電話を切った。
「明後日の便でモスクワに行くんだな?」
叔父のカスティーヨが話しかけて来た。
モハマッドはただ肯いた。
「お前は、史上最高のテロリストになったんだ。アメリカ特殊部隊のグリーンベレーも真っ青だろう」
極端に無口になったことが、史上最高のテロリストになったことを物語っている。
「何故アンドロポフが呼んでいるか分かるか?」
モハマッドの口がやっと開いた。
「テレパシー能力の開発でしょう?」
驚いた表情でカスティーヨは言った。
「知っていたのか?アンドロポフから聞いたのか?」
モハマッドは首を横に振った。
「恐ろしい殺人マシーンになったもんだ!」
カスティーヨでさえため息をつくほど、モハマッドは変身していた。
カイロ空港からモスクワまで4時間のフライトだった。
地中海を渡り、バルカン半島の上空を飛ぶ。
海だった眼下が、陸に変わると、バルカン半島である。
ブルガリアの首都ソフィア上空を越え、ルーマニアの首都ブカレスト、そしてソヴィエト連邦ウクライナ共和国のキエフから1時間半でモスクワに着く。
キエフでエアロフロート35便は一時着陸して入国審査を行った。
到着口に出たモハマッドに大きな図体の男が近づいてきた。
「モハマッド・ハッサンさんですか?」
風貌のわりに丁寧な喋り方をする男だった。
モハマッドは頷いた。
「どうぞ、こちらへ」
相手の男も無口だ。
お互いの素性は、目があった時点で見抜いていた。
大男の後をついて行くと、アンドロポフが待っている部屋に入って行った。
「やあ、来たかい。ここで入国してから、一緒にモスクワに行こう」
モハマッドの変身ぶりに、久しぶりに会ったアンドロポフも内心驚いていた。
言葉に出さなくても意思の疎通が図れるテクニックを具えているモハマッドは、アンドロポフを相手に試してみたのだ。
『さすが、KGB議長を1967以来7年間もやっている男だ。この男も怯えるようなテロリストになってみせる』
モハマッドは、凍りついたような心の中で呟いた。