第二十四章  アンアール・サダト

「ムラ、久しぶりだね。カイロ中央警察での仕事は楽しくやっているかい?」
その男性は、口髭をつけた精悍な顔つきをしていた。
「はい、楽しくやっております。閣下」
モハマッドは思った。
『やっぱり、サダト大統領だ』
サダト大統領は、故ナセル大統領と一緒に、エジプト独立の時の立役者であり、ナセル大統領時代は、副大統領としてナセルを補佐していた。
激情型のナセルに比べて、冷静沈着なタイプのサダトは余り目立たなかった。
アラブ連合軍を結成して、イスラエルの中東戦争を起こそうとするナセルに賛成してはいなかったが、アラブ世界の英雄に祭り上げられたナセルに反論する者は、もはやいなかった。
しかし、1958年の第一次中東戦争から1968年の第三次中東戦争までは、ナセルの名声とは裏腹に、イスラエルの圧倒的勝利に終わっていた。
シリアのアサド大統領などは、露骨にナセル批判をし始めていた。しかし、ヨルダンのフセイン国王が必死にナセルを援護したから、アラブ連合は雲散霧消しなかった。
その中で、イラクバース党の総裁になったサダムフセインが、イラクの大統領になり、本格的独裁政権の地盤を固めて、シリアのアサドと歩調を合わせていた。
そんな時に、ナセルが心労から急死したのだ。
アンアール・サダト。
その名が示す通り、純粋エジプト人ではない。
エジプトの南に位置して、ナイル川のもう一つの合流地点ハルツームを首都にするスーダンの人種が混ざっている。
エジプトがアフリカ大陸にあるといっても、アフリカのイメージがない古いアラブ国家であるのに対し、スーダンは、その下のエチオピア、ソマリア、そして紅海の向こう岸にある、アラビア半島の最南端の国、イェーメンと共に、アフリカ大陸で最も古い歴史を持つエチオピア圏の国の一つであった。
人種的には、古代エジプト人の血を強く引き継いでいる。
現在のエジプト人と、ピラミッド時代やローマ帝国時代のエジプト人とは、人種的には全く違うのである。
その頃のエジプト人は、エチオピア系であったから、シバの女王がエチオピア人かイェーメン人だと言われている所以である。
アンアール・サダトは古代エジプト人の血を強く引いているスーダン人なのである。
「もう朝の御祈りをカイロの人たちに聞かせてあげないのかい?」
大統領は、親しげにカスティーヨに話しかけた。
「ミッションを終えたら、またザガジッグ・モスクに戻ります」
「ミッションねえ!」
暗い表情になった大統領は、カスティーヨの言う「ミッション」の意味を知っている様子だった。
『何故大統領は、叔父さんのミッションを知っているんだ。確か、今度の大統領は、叔父さんがやろうとしている対イスラエルゲリラ部隊の結成には反対だと聞いていたのに・・・・・』
モハマッドは心の中で呟いた。
「閣下は、わたくしのミッションに対して、ご反対されていると聞いておりますが、そうなのでしょうか」
カスティーヨが、ずばり大統領に訊いてみた。
「いや、ゲリラなら反対しません。それがテロになる危険性があるから、心配しているのです。テロはあなたも承知の通り、イスラエルの十八番(おはこ)ですから、そうなれば、彼らの思う壷になってしまいます。リビアのカダフィー議長も、テロとゲリラをきっちりと区分けしておかないと危険です。だがカダフィー議長も軍人出身ですから、ゲリラ戦術を忌み嫌うのです。わたしも軍人でしたから、ゲリラ戦術というのは、余り好みません。しかしアメリカという大国をバックにしたイスラエル相手なら、ゲリラ戦術しかないと思います」
カスティーヨは大統領の真意を聞いて安心した様子だったが、モハマッドがリビアに行き、イラクに行ったのは、明らかにテロリスト集団の結成だったのを、カスティーヨは気づいている筈だった。
「もちろん、わたしのミッションはゲリラ部隊の結成であって、テロリスト集団の結成ではありません」
そう言って、彼はモハマッドの方に目をやった。
モハマッドは下を向いてしまった。
「この方は?」
大統領がモハマッドの方を向いて言った。
「わたしの甥でモハマッド・ハッサンです。今日ドッキシェラトンで爆破事件がありましたが、それに関わっているようです。今日ポートサイドから戻って来たのですが、その前はシナイ半島に、その前はイラクのバスラに、その前はリビアのトリポリに行ってたようです」
モハマッドはびっくりしてカスティーヨの顔を見たが、平然としている。
「それでは、ガラブ氏と一緒にカダフィー議長のところに行ったという方は、あなたの甥御さんだったのですか?」
またまたモハマッドは驚いた。
『一体どうなっているんだ!すべてお見通しじゃないか』
「例のテロリスト訓練生たちですね」
大統領は、驚きもせずに淡々と話した。
「叔父さん、僕は一体・・・・」
モハマッドは遂に我慢しきれず、声を発してしまった。
「ところで、今日はここへ甥御さんと夕食に来られたのですか?」
大統領がカスティーヨに訊いた。
「いえ、彼がここで9時にデートの約束をしているので、それまでお茶でも飲みながら、話をしようと思いまして・・・」
「そうですか、わたしも9時にここでディナーの約束がありますが、それまで時間がありますので、一緒しませんか?」
大統領の方からモハマッドに声を掛けた。
「いえ、僕はどんな命令にも従います」
咄嗟に口を開いたモハマッドだった。
「やはりテロリスト訓練の成果が出ていますね」
大統領は笑いながら、カスティーヨに言った。
「本当に、そうですね」
カスティーヨも相槌を打った。
それから、9時前迄、モハマッドは殆ど口もきかずに、二人の話を聞いているだけだった。
『早く、ハンナが来ないかなあ!』
その瞬間(とき)、ハンナの声がモハマッドの後からした。
「大統領!」
後を振り返ると、ハンナと一緒に気品のある婦人が大統領に声をかけていた。
「やあ、マダム・ライラ!先に来ていたのです。ミスターヨセフは?」
ハンナの横の婦人と話している大統領の目が、倶楽部の中を見まわしている合間に、ハンナがモハマッドの傍に来て囁いた。
「お母さんと、お父さんが、一緒に来るっていうもんだから。まさか大統領と約束しているなんて知らなかったわ」
ビデオ倶楽部でのデートが、思いもよらないパーティーになってしまった。