第二十二章  テロの原点

ドッキ・シェラトンホテルの六角状のロビーから正面エントランスに出るところにトイレがあり、爆発は男子トイレでおこったのだ。
幸い、ハンナはエントランスに出ていた為、モハマッドと同じように爆風で飛ばされたが、怪我は大したことはなかった。
モハマッドが気付くと、自分の胸に抱かれているハンナがいて、恐ろしい爆発であったにも拘らず、二人は顔を合わせて笑っていた。
しかし、ロビーの中から悲鳴が聞こえると、モハマッドはハンナの体を放し、真っ青な顔をしてロビーの方へ跳んで行った。
広いロビーが、瓦礫の山となって、その瓦礫の中に人間があっちこっちに即死の状態で横たわっていた。
上の方で、声がしたので、顔を上げると、中二階にあるカジノから、客がぞろぞろと出て来たのだ。
「みなさん!大丈夫ですか?」
モハマッドは、大声で叫ぶように訊いてみた。
幸い、中二階のカジノは爆発に巻き込まれなかったらしい。
その時、エントランスに避難していたハンナが跳び込んで来た。
「モハマッド!警察がやって来たわ。イスラエルのテロらしいって言っていたけど、テロってどういう意味?」
モハマッドは、バスラでテロリストを養成する訓練を受けたが、実際のテロに遭遇したことはなかった。
中東戦争はアラブ連合側が、自分たちから仕掛けた戦争であったのに、1948年の第一次から1968年の第三次まで悉く、イスラエルの圧倒的勝利で終わっていた。
その焦りから、ナセルは心臓発作で急死してしまったのだ。
ナセルが死んだ後、アラブ連合側は、足並みが揃わなくなった。
『今度負けたら、永遠にイスラエルに勝つことは望めない』
アラブ人全体にそういった雰囲気が漂っていた。
モハマッドにプロのテロリストとして白羽の矢が立ったのも、正にアラブ側にとって背水の陣だった。
しかし、イスラエルに先手を打たれたのだ。
中東戦争が始まって以来、初めてのテロ行為に、アラブ側は戸惑った。
ゲリラ戦は、キューバ革命が起こった時、革命児ゲバラで有名になり、それ以後、小国が大国と戦う場合の切り札と思われ、ソ連が世界共産化を展開する上でも重要な戦略がゲリラ戦だったのは、1963年に暗殺されたケネディー大統領が始めたベトナム戦争で証明された。
テロリズムという言葉はあったが、それは暗殺的要素が強く、ケネディーが暗殺されたのも、テロリズムと言えるものだった。
今回のような、不特定多数の人間を無差別に殺戮する事件など前代未聞だった。
実は、今回のような無差別殺人をテロと言うのであって、テロの本家はイスラエルの諜報機関モサドなのだ。
ロビーに入って来たカイロ警察の指揮官が、モハマッドの所へやって来て、足の爪先から頭まで舐めまわすようにモハマッドを見ながら、質問してきた。
「君がモハマッド・ハッサンかね?」
一瞬、「カッ」と来たモハマッドだったが、これだけの死亡者が出た事件だから、当然と言えば当然だと思い直して、「はい、そうです」と率直に返事した。
「君は、今日ポートサイドからエジプトに再入国したようだが、君は3ヶ月ほど前に、リビアとの国境でエジプトを出国してリビアに入ったね。それがどうして、管理区域になっているシナイの方から再入国しているんだね。一体どういう理由なんだね?」
まるで犯罪者扱いの警官に、再び頭に来たモハマッドだったが、テロリスト養成の訓練をしていたとは言えない。
黙っていたモハマッドに、その警官が伝えた。
「まったく同じ時間に、ヨルダンの首都アンマンでも爆破事件があり、イラン大使館前でトラックが爆破された。君は、そのトラックに乗っていた連中のこと知っているんじゃないかい?」
「ええ!アンマンでも爆破事件があったのですか。僕は、そんな連中のこと知りませんが、トラックに乗っていた連中は無事だったんですか?」
「気になるのかい?」
ニヤリと笑って、その指揮官は言った。
「連中もシナイからアンマンにやって来たらしい。何かシナイであったのかね。あそこは、イスラエルのCIA、モサドの連中がいっぱいいる処だから、何か起きても、不思議ではないね。トラックに乗っていた連中の大半は即死したらしいよ」
シナイでの実地訓練場で出会ったサウジアラビアの外人部隊の中に、イスラエルのモサドの諜報員が潜入していたらしい。
「全員死亡ではないのですね?」
モハマッドはもう必死だった。
「僕も彼等と一緒にシナイにいたんです。シナイで僕だけエジプトに向かい、他の連中は、アンマンに向かったのです。彼等は無事だったのでしょうか、後生だから、教えてくださいよ!」
リビアのトリポリに行ったこと、そこからイラクのバスラに行き、バスラで訓練を受けて来たことを、正直に答えた。
「そうかい!そんな事があったのかい?」
呆れた表情でいる指揮官も、やはり愛国心はある。
『別にテロ行為をしたわけではないんだから、気にすることはない。それよりアンマンの連中が心配だな』
そう思った男は、しみじみと話し始めた。
「俺だって、第一次、第二次中東戦争に行ったから、お前さんの気持ちは良く分かるよ。いいかい、テロという奴はなあ、イスラエルのユダヤ人野郎たちが、昔から秘密に伝えられて来た儀式が原点なんだ。あれだけ迫害を受けて来たのだから、何か対抗策を考えるのは当り前だ。テロはあいつらの十八番なんだ。だがアラブの国にテロをしでかしたのは、今回が始めてだ。お前さんたちの動きをキャッチして、先手を打って来たんだろう。もう帰ってもいいよ」
その男は、それ以上モハマッドを尋問しようとはしなかった。
「おい、みんな、引き上げだ。後は消防隊と軍隊に任せておけばいい」
そう言って、彼はモハマッドの方に向きなおって、手を出して来た。
「頑張るんだぜ!若いの!期待しているよ」
握手した手に力が入って、モハマッドは何も言わずに頷いた。
「アンマンの連中のこと、分かったら連絡してやろうか?それとも、ここに連絡してくればいいよ」
ポケットから無造作に名刺を1枚出し、モハマッドに渡して、その男はホテルを出て行った。
「何ていう人?」
横からハンナが、名刺を覗いて言った。
「アベル・ハッサン。カイロ警察警部」
ハンナが言ったのを聞いて、モハマッドは仰天した。
「ええ何だって!あの人が!」