第二十章  ナザレ・ヨセフ

今にも、ナイフを出してマンスールの胸を突こうとする体勢のモハマッドの前に、まだ少年の面影を残したヨセフが立ちはだかった。
「どくんだ!ナザレ!」
モハマッドは、吐き捨てるような声で怒鳴った。
マンスールから殺気が急に消えた。
「モハッマッドさん、今なんて言いました?」
モハマッドの殺気も消えたが、マンスールの質問の意味がわからない。
「どくんだ!ナザレ!と言ったんだ」
ベルトにぶら下がっていたナイフに置いた手をはずしながら、マンスールは地面に土下座して、ふたりに向かって頭を下げた。
訳がわからないモハマッドにヨセフが言った。
「マンスールさんは、僕の名前に驚いたんですよ」
まだモハマッドには理解出来ない。
「ヨセフは、ヤコブの子のひとりで、後にエジプトで宰相にまでなった人物です。ナザレは言うまでもなく、イエスの父親の名前です」
「申し訳ございません。きっちりと説明しないで、こんな訓練に入ってしまって。ましてや、ヨセフの末裔の方がいらっしゃるとも知らないで・・・」
マンスールが地面に頭を付けて土下座しているので、仕方なく、ナザレが説明した。
「イエスはヨセフの子で、ヨセフはアブラハムの孫であるヤコブがつくった12人の子供の中で、その後アラブ人の祖先となるのです。
モーゼが後継者として託したヨセフも同じ血を引いていますから、結局イエスはアラブの救世主でもあるのです。マンスールさんは、そのことをご存じだったのですよ」
「おっしゃる通りです!」
マンスールは頭を地面につけながら言った。
モハマッドには、到底理解出来ない世界の話のようだった。
「とにかく、地雷訓練はサウジの傭兵たちに任せておきましょう」
立ち上がったマンスールは何か急ぐように、その場を立ち去った。
『それにしても、わからないことが多すぎる!』
モハマッドは吐き捨てるように言ったが、ヨセフは淡々として走り去って行くマンスールのうしろ姿を見ながら言った。
「あの方には、あの方の事情があるんですよ」
そう言いながら、微笑んでいるヨセフの顔が光っていた。