第二章  モアマール・カダフィ−

1969年9月1日、若干27才の陸軍少佐モアマール・カダフィーは、大群集を前に、王制打倒を高々と打ち上げた。
その目的は、第三次中東戦争による、スエズ運河が閉鎖されて以来、地中海に面している産油国リビアを支配していた国際石油資本に対抗するためであった。
1951年にイタリアの支配下にあったリビアは、イタリア敗戦によりリビア王国として独立した。
しかし、スエズ運河閉鎖によりペルシャ湾からのタンカーの地中海への道を断たれた国際石油資本、特にソ連と太いパイプを持つ、ロシア系ユダヤ人のアーマンド・ハマー会長率いるオキシデンタル社が中心に、欧州への石油供給拠点としてリビア王国に白羽の矢をたてた。
欧州への石油供給の25%を国際石油資本から強制的に担されたリビア国王に不満を抱いたカダフィー陸軍少佐は、他の青年将校と共に、国際石油資本からの自由を得るための革命であると大衆に訴えたのだ。
それまで、イスラエルに対する憎悪をそれほど持っていなかったモアマールは、通称ドクター・ハマーがソ連と気脈を通じたユダヤ人であったことから、一気に反ユダヤ主義に傾倒し、イスラム世界建設へと走らせた。
カダフィーが反米主義だと思われているが、アメリカの国際石油資本、特にロックフェラー一族が支配するスタンダード石油傘下の石油メジャーに対するアンチテーゼが、その実体であることを世界は余り知らない。
結果的には、アメリカという国は、ロシア革命、第一次世界大戦、世界大恐慌というアメリカに住むロシア系ユダヤ人によるシナリオによって、彼らに支配される国となっていったのだ。
アメリカ大統領は、単に彼らの前衛に過ぎない。
最も典型なのが、ニューディール政策によって、歴代アメリカ大統領の中で唯一12年間、その職に就いていたフランクリン・ルーズベルトだ。
彼は、最も汚職にまみれた大統領であるにも拘らず、名大統領の名をほしいままにした。
実際は、ロックフェラーの指示で動いていただけである。
石油が中東のアラブ地域で大量に埋蔵されていることが判った彼らは、石油シンジケートを結成した。いわゆる石油メジャーの誕生だ。
結果、アラブ諸国を支配する戦略が各産油国で展開され、産油国のすべてが立憲君主制国家であったことから、王家と結託して油田の発見・掘削から精製、そして卸しまでの権利を掌握し、油田は産油国にあっても、実質の支配者は、彼ら石油メジャーだった。
しかし、イラクとリビアに反発が起き、王制は崩壊し、共和制社会主義国家となっていった。
イランも結局、その後、仲間入りすることになるのだが、彼らの共通テーマは反米であり、それは今もなお続いている。
戦争というものの原因は、常に経済問題がその根源にあり、二十世紀に入ってからは石油問題が常に戦争の動機・原因になっている。
それほど、国際石油資本つまり石油メジャーの影響力は大きかったのである。
アラブのイスラム教圏世界の建設の動機は、決してイスラム教対キリスト教・ユダヤ教という宗教問題ではなく、石油の利権を守ろうとする石油メジャーからの産油国の独立であった。
モアマールが、革命後、最初に取り組んだのが、石油メジャーとの石油価格交渉であったことが、その目的を如実に表している。
評議会議長になったモアマール・カダフィーは実質、社会主義人民リビア・アラブ共和国の国家元首であったが、革命後陸軍大佐になったまま、陸軍キャンプに常駐する生活スタイルを変えなかった。
欧米資本主義自由体制国家は、モアマールのリビアをテロ集団の巣窟だとし、その指導者である彼を徹底的に悪人扱いするプロパガンダを彼らの支配下にあるマスコミを通じて世界に発信する戦略で対抗した。
それは彼らの常套手段であるー現代ではイラクの指導者サダム・フセインがその標的にされているー。
しかし、その背景には常に石油利権が絡み、その支配をしている国際ユダヤ資本との確執を忘れてはいけない。
アレキサンドリアのガラブは、リビアが世襲の立憲君主国家の時から、リビアの石油をエジプトにただ同然で輸入する商売をしていた。
それは、リビアの首都トリポリが、古代フェニキア人の造った歴史的な町でリビア王家と、一大文明国家のエジプト王家とは常に縁戚を結んでいた古い歴史的関係があったためである。
ところが、モアマール・カダフィーが国家元首になった現在のリビアから、同じ有利な条件で石油をエジプトに持ち込むことが出来るかどうかが不透明になった今、どうするかをエジプト政府と協議する為にカイロにやって来て、ドッキ・シェラトンでモハマッドと出会ったのだ。
ドッキ・シェラトンホテルは、ナイル川に架かるドッキ橋のすぐ畔にある高層ホテルで、一階のレセプション・ホールから階段で上がった中二階にカジノがあった。
エジプトの高級ホテルにあるカジノは、すべてドル紙幣しか通用せず、チップもすべてドルチップであった。
ガラブはカイロに来たら、ナイル・ヒルトンに泊まっていたが、ナイル・ヒルトンはナセルの時代に建った古いホテルで、最近ではドッキ・シェラトンに替えていた。
それが、モハマッドとの出会いの機会を与えた。
「ブラックチップとイェローチップで5万ドルくれ」
先に、ルーレットをやっていたモハマッドは、ガラブの声で仰天した。
モハマッドはせいぜい赤の5ドルチップでストレートに賭けているのに、ガラブは黒の100ドルチップと、黄色の1000ドルチップで賭けるつもりらしい。
急に、まわりが騒々しくなった。
ガラブの賭けが始まるのを見に観衆が集まって来たのだ。
他の客は圧倒されて席を離れていったが、気の強いモハマッドは座ったままだった。
ガラブはモハマッドの顔を見て、にやりと笑った。
その笑い顔は、若いモハマッドには好意的に思えた。
モハマッドもにやりと笑い返した。
「モハマッド・ガラブだ。よろしく」
と握手を求められたモハマッドは、同じ名前に驚いて、「モハマッド・ハッサンです」と言って、強く握り返した。
その握る強さで相手を計るのが、アラブの世界の常識だ。
モハマッドの握手を感じてガラブは、またにやりと笑った。
二人の友情が生まれた瞬間だった。