第十六章  死のマスター

人間だけが、死ぬという厳然たる事実を知っている。
この事実を知ったということは、二つの選択肢があると、マンスールは言う。
死と正面から堂々と対面する生き方。
そうすると、死に対峙する勇気を奮うことで、生きる勇気も奮うことができるようになる。
死から徹底的に目を逸らす生き方。
そうすると、如何なる死に方をしても、それは自殺行為と変わらなく、結局は死のみならず、生からも逃避することになる。
動物にも、死ぬという事実は厳然とあるが、死ぬということを知らない。
彼らには選択肢が無い。
従って、生きる上においての価値観の意識が無い。
そうすると、他愛のないことでも命を張るし、重要なことでも命を放り投げることがある。
それは、この二つの選択肢を知らないからであって、それはまさしく死に対する無知から来ている。
だが、その行為は荘厳なものだ。
一度、死を知った限り、人間は動物のような生き方は出来ない。
その中で死の恐怖を克服するには、この二つの選択肢を超えた、死に対する熟知の世界に入って行くしかない。
完璧な戦士、つまり死のマスターになるには、死に対する熟知の世界に入って行くことが要求され、欧米世界の近代兵器で以っても、死のマスターである完璧な戦士には叶わない。
ベトナム戦争で、アメリカ軍が近代兵器でいくら攻撃しても、気がおかしくなるのは、アメリカ兵士だった。
ベトナム戦争で実質完敗したアメリカは、徴兵制度を廃止した。
アメリカ軍兵士の精神的打撃の大きさに驚愕したからだ。
昔の戦士は、直接肉体同士の衝突であったから、死のマスターにならないと、闘う心になれない。
しかし、今の戦士は近代兵器のボタンを押すだけのゲームだから、兵士であっても戦士ではない。
アメリカや、かつてのソ連のような圧倒的近代兵器を以ってしても、ゲリラ戦によってベトナム、アフガニスタンで完敗し、挙句の果てに、ソ連は国まで崩壊した。
死のマスターの戦士相手に戦をするためには、こちらも死のマスターになるしかない。
モハマッドのアラブ連合軍が、シナイ半島で近代兵器のイスラエルに虐殺されたのは、アラブ連合軍が、戦士でなかったからだ。
時代遅れの兵器を持った兵士と、近代兵器を持った兵士の戦いであった。
モハマッドが、テロリストと言っても、マンスールは聖戦(ジハード)の戦士だと言い張った理由はここにあったのだ。