第十五章  ハムシーンの心

ハムシーンが過ぎたあとの空は、まるで透き通った雲一点ないガラスのようなものだ。
空気は完璧にスクリーニングされ、砂に埋もれた町並との極端なコントラストは、初めて体験するものには、別世界の雰囲気を感じさせる。
ハムシーンの実相を肌で感じる為の訓練だったが、ハムシーンが過ぎ去った後にも、訓練が待ち受けていた。
口の中も、鼻の穴にも細かい粒子の砂で詰まっている不快感を、やっとシャワーを浴びることで解消出来ると思っていた連中に、マンスールは静かに伝えた。
「今から、ハムシーンの実体について、わたしが講義しますから、そのままの恰好で、講義室に入って下さい」
命からがらの訓練をやっと終えて、ほっと息をついていた連中がざわざわ騒ぎ出したが、モハマッドが制止した。
「我々は訓練を受けに来ているんだ。文句を言うのではない!」
モハマッドの迫力ある一喝に、みんな黙ってしまった。
講義室に入ったマンスールは41人の訓練生に向かって話し始めた。
「今日みなさんは、ハムシーンの本当の姿を体験されました。いわばハムシーンの肉体を知ったわけです。しかし、それが精一杯だったと思います。処女の娘が初めて男と交わる時の精神状態と同じで、無我夢中で相手のことを体で感じるのが精一杯です。みなさんもハムシーンを体で感じるだけで精一杯だったと思います」
マンスールが何を言いたいのか、みんなさっぱり解からなかった。
モハマッドだけは、何となくマンスールの言いたいことが解るような気がした。
やはり、トリポリからずっと一緒にいたので、マンスールの考え方が大体わかっていたからだ。
「今から、ハムシーンのすべてを解明してみたいと思います。処女の娘が相手の男の気持ちを理解する過程を考えてみれば、その方法が見つかると思います」
性の話が始まったと思った、連中は体を乗りだしてマンスールの話に聞き耳を立てる様な姿勢に急に変わった。
「処女の娘と交わる男の気持ちは、どんなものでしょうか、わかりますか?」
ひとりの男が自慢気に手を上げて答えた。
「相手の女を征服して、自分のものにした気持ちでした」
自分の体験談を話しているのだ。
みんなはどっと笑った。
「それで?」
マンスールは更に続けるよう促した。
「自分のものになるまでは、征服する気持ちが強いから、相手に対して暴力的な気持ちでしたが、今こそ征服出来ると確信したら、暴力的なものから、相手を愛しいという気持ちに変化して、髪を撫でてやったり、顔を撫でてやったりしました」
みんな興味津々で聞いていた。
「それで、裸体を撫でてはやらなかったのですか?」
その男は思いだすように顔を上に向けてしばらく考えていたが、はっとしたように口を開いた。
「いえ、裸の体は絶対に触れませんでした」
「どうしてですか?」
マンスールは訊いた。
再び、男は天井を向きながら、今度は長い間考えていたが、わからないらしい。
「わかりません」と答えた。
「その理由をあなたは知らない。だがあなたは無意識にそうしている。そうです、あなたは相手の娘の肉体は首から下だと思っている。一方顔は肉体とは思っていない。心だと思っているのです。自分が汚した体であるのに、汚くて触ることが出来ない心境なのです。しかし自分に汚されることを敢えて受け入れた心に愛しく感じ、心を所有できたと思っているからです」
マンスールの話を聞いていたモハマッドは、『なるほど、そう言えばそうだ』と感心していた。
「だが、処女を奪われた娘は、心を奪われたとは思っていない。肉体も相手の所有物にされたとも思っていない。今日のあなた方がそう思ったのと同じように」
みんな納得したような気持ちになってきた。
「今日、あなた方は、ハムシーンに処女を奪われた娘であったのです。少なくともハムシーンはそう思っています。ハムシーンは自然を代表していると考えたらいいでしょう。わたしの言っていることが解りますか?」
マンスールにそう、訊かれても、まだ解っていない。
「ハムシーンの心を知れば、あなた方は死を乗り越えることが出来ます」
モハマッドは『なるほど。その通りだ』と思った。