第十三章  ハムシーンの中の訓練

1ヶ月間、輪舞三昧に明け暮れたモハマッドの精神状態は完全に変わっていた。
他の40人の仲間も、顔つきが変わって、これからプロのテロリストになっていく人間とは思えない雰囲気になっていた。
「あなたと同じような顔つきに、彼らもなってきましたね。やはり精神状態が変わると顔つきに顕れるんですね」
モハマッドはマンスールにしみじみと言った。
「今までは、精神修養ですからねえ。これからの訓練で、また彼らの顔つきが一変しますよ」
淡々と話すマンスールにモハマッドは久しぶりに皮肉な質問をした。
「わたしも一変しますかね?」
覗き見するように、マンスールの目を窺うと、目が笑っていた。
「もちろん、あなたも一変しますよ。これからの訓練で変わらない人間なんてひとりもいないですよ」
そう言いながら、空を見上げる彼の姿を見ていたモハマッドは心の中で呟いた。
『彼も、その訓練を受けたんだ。今その時のことを思い出しているんだ』
これからどんな恐ろしい訓練がやってくるのか、と思うと、急に不安になるのだった。
マンスールから、新しい訓練に入ると言われてから1週間が経ったが、一向に呼びだしが掛からない。
恐ろしい訓練を催促することも、おかしな話だと思ったみんなは、ただ静かに待つしかなかった。
風の強い、蒸し暑い朝だった。
マンスールから、モハマッドに連絡があった。
「今日午後3時から訓練を始めるそうです、わたしももちろん訓練に参加します。みなさんに伝えておいてください」
モハマッドは訓練の趣旨を察した。
『今日の午後必ずハムシーンがやって来る。ハムシーンの中での訓練のようだ。考えただけでも、ぞっとする!』
ハムシーンがやって来ると、外に出る者はひとりもいない。
みんな家に閉じこもって、ひたすら悪魔が過ぎ去って行くのを待つだけだ。
それを、ハムシーンの中で訓練をすると言う。
40人の仲間に伝えると、「俺はハムシーンが怖い!そんな中で訓練なんて嫌だ!」
泣きだす者もいた。
さすがのモハマッドも武者震いではなく、恐怖で震えた。
午後になると、予想した通り、砂が舞いだした。
『もうあと1時間ぐらいで真っ暗になって、その中で風速50メートルの、砂の混じった風が吹き荒れる』
想像しただけで恐ろしくなる。
モハマッドは、コーランの一文を思い出した。
モーゼがエジプトに戻って、ラムセス二世に、同朋のヘブライ人の奴隷解放を要求した、旧約聖書の「出エジプト記」だ。
「過ぎ越しの祭り」と呼ばれる、ユダヤ教徒にとって一番大事な祭りの原点になった話だ。
同朋を解放しなければ、エジプト人のすべての長子が、呪いの雲に襲われて死ぬと、モーゼが予言する。
そして昼間なのに、真っ暗闇になり、黒い雲が町中を漂う。
モーゼは同朋みんなに玄関の戸に羊の血を塗るように指示する。魔除けの印なのだ。黒い雲がやって来ても、戸に赤い血が塗ってあれば、黒い雲は過ぎ越して行ってくれる。
「過ぎ越しの祭り」は、この話から始まった。
コーランにもこの話は書かれてある。
『今日は、過ぎ越しの黒い雲の中で悪魔と闘うんだなあ』
呟いたモハマッドは全身汗でびっしょりだった。