第十一章  輪舞のマスター

スーフィーの修行の中で一番大事なものが輪舞だ。
精神と肉体を分離することによって、肉体が自分だと思い込んでいる普段の自分から解脱し、魂という、本当の自分を発見する効果的な手法が輪舞なのである。
両腕を水平に伸ばし、背骨を軸にして、ぐるぐる回るだけのことだが、舞始める瞬間と、回転を制止するのは、自分ではなく、修行を指導してくれるマスターが突然指示する点が大事なのである。
いつまで続けるのか分からないで踊っていると、輪舞している肉体と精神も一緒に輪舞している。
そこで、マスターが突然、「ストップ!」と声を掛ける。
肉体は、マスターの、「ストップ!」の声を、肉体の一部である耳という五感で聞く。
そうすると、同じ肉体は指示に従って輪舞を止める。
しかし、精神は、慣性の法則が働いて、依然ぐるぐる回っている。
静止している肉体と、回転運動している精神とに分離することで、肉体を自分だと思っていた錯覚に気づくのだ。
肉体は所詮容器であって、容器の中に入っている「想い」こそ、本当の自分であることを理解する。
自己想起の初体験をすると、精神が澄んでくるのが、手に取るように分かってきて、ますます関心が、精神の方の自分に集中していく。
至福の一瞥が得られる瞬間である。
そうなると、怖いものは一切なくなり、人間にとって一番大きな恐怖である死というものまで、怖い対象から、親しみの対象に変化していく。
死に対する親近感が増せば増すほど、至福感は、一瞥から継続したものへと発展していく。
悟りとは、至福感の一瞥から、途切れない継続に達した瞬間を言う。
しかし、肉体という容器の中に、精神がある限り、途切れない至福感の体得は不可能である。
ただ、限りなく近づくことはできる。
マンスールが、モハマッドの前で舞った輪舞は、ロシアの輪舞の天才ニジンスキーを髣髴させる程の華麗なものであった。
ニジンスキーは、ロシア人とトルコ人の混血児として、イスラム教徒の家庭に生まれ、幼少時よりスーフィーとなり、輪舞をマスターすることによって、自己想起を実現した偉大なスーフィーであった。
ロシア系ギリシャ人、ゲオルグ・グルジェフはニジンスキーの輪舞に魅了され東洋的神秘思想を西欧社会に融合させた怪人で、マンスールの父親のモセインはグルジェフの高弟の一人だった。
マンスールは子供の頃、グルジェフの下に父モセインによく連れて行かれ、そこでは輪舞が誰よりも速くグルジェフからマスターとして認められた程の天才であった。モハマッドの目の前で、ひとりで舞うマンスールの姿は、次第に複数の人間が舞う錯覚をモハマッドに感じさせた。
そして、マンスールの広げた腕が、自分を誘っているように感じたモハマッドは、輪舞の中に吸いこまれ、夢を見ているような気分の中で、シナイ半島でイスラエル軍ではなく、アメリカ軍相手に戦っている幻を見ていた。
その幻が、現実のものとなるなど想像もしないで、モハマッドはマンスールに誘われて、ただ回るだけであった。