第九十四話 静かな一日

冬が終わって、春がやって来た。
「The Day」の5月5日まであと一ヶ月だ。
時は無言で流れて行く。
有言では尚更流れて行く。
淡々と流れて行く。
静かな一日が過ぎることもたまにはあるものだ。
雄仁とたけしは舎利殿の縁台に座って、お互い声も掛けずに、静かに鏡湖池に足を浸していた。
春の柔らかな日差しが、ふたりの狂気を正気に戻す。
「いい季節ですなあ!」
珍しく雄仁の方からたけしに声を掛けた。
「まったくその通りで・・・」
珍しく殊勝な言葉を吐くたけし。
「何か思い詰められているんでしょうか?」
警官らしさのない質問だ。
「いやあ!あまりの穏やかな一日で、心が洗われる想いですなあ!」
まったく隙のない言葉である。
隣同士で座っていた位置が徐々に狭められていく。
「そうですか!それは何よりのことです・・・」
たけしも隙のない言葉を発する。
鏡湖池の鯉たちもふたりの様子を見ていた。
雲間に入っていた太陽が再びその姿を現した。
「心の垢が、この日差しで溶けていくようですなあ!」
たけしは頭を垂れているだけだ。
「・・・」
先ほどから、「・・・」が気になる。
嵐の前の静けさか。
「心がほのぼのとしてくる感じでしょうか・・・」
たけしも負けじと頑張っている。
しかし浅知恵には所詮限界がある。
鏡湖池の鯉が尻尾を跳ね上げた。
ジャブだ!
「鯉たちも、春ののどかさを楽しんでいるようですなあ!」
ますますたけしの頭が垂れてきた。
「・・・」
鏡湖池の鯉たちが囁き出した。
「あの鯉たちのように、人間も仲よくすれば、この世の春を謳歌できるのでしょうなあ!」
鯉たちは仲よくしていたわけではない。
それを察知した勘のよいたけしは、更に無言の姿勢を崩さなかった。
「まったくその通りで・・・」
何事も起こらないおだやかな、嵐の前の静かな一日だった。