第九話 色の世界

平泉での生活は、木次で送った真っ青な少年時代、東京で送った紫色の時代、京都で送った橙色と青色の混ざった困惑の時代を一掃してくれるような、金色の世界であった。
「藤原三代が黄金に魅了された理由(わけ)がわかるような気がします」
久しぶりに正常な身体を取り戻していた雄仁は、その状態の時だけ対面することができる藤原一郎こと鹿覚とふたりきりで話をした。
「わたしが大徳寺で修行をしていた頃、金閣寺が火事に見舞われるという事件が起きました。わたしと一緒に修行していた雲西は、そのとき金閣寺の修行僧だったのです・・・」
一郎が話し続けているとき、雄仁の首筋に稲妻が走った。
首筋に稲妻が走るのは、命のエネルギーが頭の先から下腹部に移り、性欲エネルギーとして欲情の渦となったときだけである。
鹿覚に対して男色の欲情など、まるで感じていない雄仁だけに、己の身体の気紛れさに戸惑うのであった。
『藤原一郎は雲西、一郎は雲西、雲西・・・』
橙色の想いはまるでない中での囁きは欲情の渦の動きではなく、木次や東京での青の時代の感覚であった。
夢か現実かの境界が、橙色が混ざった場合と、青系統だけの場合では、困惑度が違うことが、平泉にやって来てからなんとなくわかるのであった。
『これは欲情ではなく、滅情のような感じだ!この向こう側に悟りの色があるのかも知れない・・・』
理屈抜きで、そう思うのだった。
『滅情という言葉は初耳だ。どうしてこんな言葉が浮かんで来たんだろう?』
身体の内からの囁きではあったが、いままでとまったく違った心地よさを感じるのであった。
「あなたは、本当に藤原一郎さんなのですか?ひょっとしたら安曇野寺の雲西が藤原一郎ではないのですか?」
冷たい心地よさが、雄仁を大胆にさせた。
「やっと、前世の記憶を少し取り戻してこられたようですね」
今秀光でもあり、藤原一郎でもあり、鹿覚でもある、目の前にいる今屋の主人が、はっきりと見えてきた。
「さあ、これからじっくりお話を聞かせてください。今秀光さん」
雄仁は今屋の奥座敷を自分の部屋として与えられていた。
今屋には50人以上の雇い人がいて、昼間は喧騒の真只中なのに、雄仁と今屋の主人が対峙している奥座敷だけは、しいーんと沈黙の別世界であった。
「600年の時空を超えた話ですから、余程じっくりと腰を落ち着けないと、気がふれてしまいますよ。いいですか?」
青色系統の世界を生きてきただけでは、到底理解できないであろう、橙色の世界。
橙色の世界に埋没していては、滅情の世界には入ることもできない。
安曇野寺にある無縁仏の墓に埋葬されたハナを参った雄仁の前に現れた雲西が言った言葉。
「平泉の地に行けよ!」
この言葉に集約されていたのかも知れないと、やっと気がつきはじめた。
藤原一郎という名前に拘り過ぎた雄仁であった。
安曇野の雲西は、『藤原一郎という男を訪ねて行けよ!』と確かに言ったかも知れない。
所謂現実の世界でも、人間同士の意思の疎通は難しい。
言った側と、聞いた側で、まるで正反対に取ることが日常茶飯事である。
ましてや、ハナに墓の前で、三つ巴で交わした会話である。
時空を超えた夢の世界では、時間も空間も常識を超えている。
夢の中では、映像が音になる。
夢の中では、音が想いになる。
夢の中では、想いが自分になる。
所謂現実の世界では、音は言葉にしかならない。
所謂現実の世界では、映像は経験にしかならない。
所謂現実の世界では、想いは考えにしかならない。
所謂現実の世界では、自分は肉体にしかならない。
時間を超えるか、超えないかで、これだけ大きな違いがある。
そしてその違いは、波長の違いであり、色の違いとして眼前に表れるのが、自分以外の人間と共有する世界なのだ。
自分独りだけの世界は無色なモノクロの世界なのである。
だから夢の中の世界は、狂気の想いを持つ者以外は、モノクロの世界が展開されるのである。
雄仁は幻想の世界を彷徨ながら、少しずつ実在の世界がわかりかけてきたような気がするのだった。
『オヒトちゃん!やっとあたしの世界に入れそうね・・・』
ハナの言葉が微かに聞こえるのだった。