第六十七話 調子に乗るたけし

橿原公威が、まったく鳴りを潜めている。
救急車で運ばれて以来、雄仁の耳には音信がない。囁きもない。
平泉の今屋の離れを家出して、京都に戻って来た時も、一早く都屋に向かったのだが、駕籠屋の蜘蛛助が邪魔に入った。
そのお陰で、金閣寺にこもったきりになっていた。
ところが、大原の安曇野寺に行ったのがきっかけで、すぐそこの過去や、ちょっとそこの過去との邂逅の機会を得た。
南野たけしや、刑事の平野洋介、精神科医の麻生鎮である。
何かが物足りない感じがしていた雄仁だったが、それがわからなかった。
『橿原公威だ!』
『春王だ!』
『足利義満だ!』
すぐそこの過去や、ちょっとそこの過去に、人間はつい執着してしまい、肝心の遠い過去を忘却の彼方に追いやってしまうのが、生身ある人間の哀しい性である。
すべての根元は、遠い過去にある。
裏を返せば、遠い未来にある。
遠い過去や、遠い未来に想いを馳せると、すぐそこや、ちょっとそこの過去や未来に目を惑わされることはない。
人間という生き物ほど近視的なものはない。
他の生き物なら、視力10や20はざらである。
視力1.5や2.0で喜ぶ人間は、まさに井の中の蛙である。
聴覚も嗅覚もまるで駄目な人間。
いや、駄耳な、駄鼻の人間。
いや、駄目、駄耳、駄鼻、駄口、駄体な人間。
ちょっとましなのは、腐った脳味噌だけ。
その脳味噌も糞と区分けがまるでできない人間。
それでは、糞人間そのものではないか。
『橿原公威は糞人間だ!』
熟(つくずく)そう思う雄仁だった。
『何をいい格好して言ってるんだ!』
南野たけしが、囁きの中で叫んでいる。
『あんだも、くそお人間でねえか!』
雄仁は仰天した。
『お升さんが、そんな端ない!』
『お升さんが、そんな端ないことを言うわけがねえでねえか!』
訛が中途半端だ。
『お升さんでなくて、やはり、丁稚のたけしが、耳晦ましの術を使ってやがる!』
『やがるとは、万世一系の血が泣くでよおお!』
ますます調子に乗るたけしだった。