第六十六話 夢の世界

夢の世界は広大無辺である。
現実の世界は、夢の中で展開される広大無辺な原作を脚本して映画にしただけに過ぎない。
映画を観て、恰も、主人公の一生を見たような積もりでいるが、そこには真理どころか、真実も、事実も顕れてはいない。
原作の脈絡すらも歪曲された、まるで別の物語が展開されている。
そんな人生を送っている人間にとって、夢物語は狂気の沙汰としか思えないであろう。
一部分のものが、全体を見ると、その意図がまるでわからない。
わからないから狂気の沙汰と言う。
全体にとって、一部分のことはすべて承知済みであるから、どんなことでも受け入れることができる。
毎朝、夢から醒めた人間が、夢の内容に拘らず、憂鬱な気分になるのは、悪夢を観たからではなくて、理解不可能な夢を観たからである。
そうなれば、眠る人生を送る限りは、地獄の人生になることは必定である。
眠る人生を送らずに、死ぬまで目が醒めた人生を送るか。
目が醒めた人生を一部の人生と捉え、眠りの人生にこそ、現実があることを受け入れる生き方をするか。
人間には、ふたつの生き方がある。
どちらを選択するかは、個人の自由裁量に任せられている。
雄仁は、いま迷っている。
あの人生か。
この人生か。
緒仁の人生か。
雄仁の人生か。
雄仁は、いま迷っている。
郁子との人生か。
お升との人生か。
はたまたハナとの人生か。
そこに割り込んで来たのが、南野たけしである。
『そう言えば、橿原公威は、どうしているんだろう?あれ以来・・・』
雄仁の脳裏にふとよぎった想い。
夢の世界を垣間観た瞬間であった。