第六十四話 伏見の謎

泉涌寺は伏見桃山御陵のすぐ傍にある。
明治天皇の伏見桃山御陵は広大な敷地であり、山城の国を平安京に遷都した桓武天皇陵が、対照的にその規模の小さきを悲しんでいるかの如く、そのまた傍に佇んでいる。
現在の御所の規模に匹敵するほどの桃山御陵が、南の東につくられたのは一体何故であろうか。
今出川通りと丸太町通りに挟まれたところに今の御所はあるが、元々の御所は、御池通りと丸太町通りの間で、しかももっと西にあったと言われている。
京都から東京に遷都したのが明治天皇であり、その明治天皇の御陵が京都にある。
そして御所と同じ規模の御陵が、南の東に位置する伏見に造られた。
雄仁は、雲西と鹿覚との会話を思い出した。
「何ゆえ、お上は京を捨てられたのでしょうか?」
雲西が鹿覚に自問した。
鹿覚が雲西に自答した。
「源頼朝が、鎌倉に幕府を開いたのは、まだ許される・・・」
雲西は肯いた。
「足利尊氏が、京都に幕府を開いたのは、お上に遠慮したから、お上のお膝下に幕府を開いたのだ・・・」
雲西は肯いた。
「ところが三代将軍足利義満は、よりにもよって、花の御所なるものを、お上のお膝下の京につくったのは、許すまじき行為である・・・」
雲西は肯いた。
「京から花の御所を消滅させない限り、お上は決して京に戻られることはないであろう・・・」
雲西は躊躇った。
間髪を入れずに雄仁が割って入った。
「ではわたしが、花の御所を消滅させて見せましょう!」
雄仁はますますその決意を強めて行くのであった。
『しかし、ハナが囁いていた深草御陵とは・・・』
深草御陵は、正式には深草北陵と言い、歴代十二人の天皇が葬られている。
第89代・後深草天皇、第92代・伏見天皇、第93代・後伏見天皇、北朝第4代・後光厳天皇、北朝第5代・後円融天皇、第100代・後小松天皇、第101代・称光天皇、第103代・後土御門天皇、第104代・御柏原天皇、第105代・後奈良天皇、第106代・正親町天皇、そして第107代・後陽成天皇である。
『変だなあ!』
雄仁は思った。
『許せん!』
雄仁は思った。