第六十三話 泉涌寺

しばらく鳴りを潜めることにした雄仁は、散策の拡がりを更に広めた。
金閣寺は西の北に位置する処にある。
その正反対はもちろん東の南である。
雲西とは口もきかない状態に陥っていたが、鹿覚との間でも何の相克も生じていなかったから、雄仁は鹿覚に相談してみた。
「金閣寺と対角線上にある東の南には何があるんでしょうか?」
雲西としての表情で、鹿覚としての心情で話するのだから、喋る方も複雑だが、聞く方も複雑である。
曇った顔をしながら、声は明るく、鹿覚は返事をした。
「その方向には、泉涌寺という皇室の菩提寺があります!」
雄仁は驚いた。
「天皇家は代々伊勢神宮を本宮とする神道を信仰していたのではなかったのですか?」
仏教大学を卒業した雄仁だったが、そんな話は一度も聞いたことがない。
「仏教と日本神道は一枚岩なのです」
鹿覚和尚が訳のわからないことを言う。
「とにかく泉涌寺に行ってみればわかるでしょう・・・」
そう言って、鹿覚は声も雲西に戻ってしまった。
表情は雲西でも声質だけが頼りだっただけに、雄仁も黙ってしまうしかない。
『行くしかない!』
そう言った、雄仁の首筋に例の稲妻が走ったが、いつもと違って心地よい感触に陶酔するのだった。
金閣寺から泉涌寺まで、およそ2時間掛けて歩いて行った。
京都という町は、北と南で様相が激変する。
まわりが山で囲まれた盆地であるのに、東と西でも様相が変わるが、南北の変化の比ではない。
上流階級社会が北の地に住み、下層社会が南の地に住むという習慣は、ここにも生きている。
いや、ここから発祥したと言ってもいい。
陽が出る東の果てか、陽が沈む西の果てか。
同時発祥と言えなくもない。
北の上流社会、南の下層社会が、世界各地で定着している。
山手と海手の違いも南北差から誕生した。
東西冷戦はイデオロギーの対決に対して、南北問題は差別問題である。
『では、どうして泉涌寺は、北の金閣寺に対して南にあるのだろうか?』
その瞬間(とき)、ハナが囁いた。
『深草御陵、深草御陵、深草御陵』
雄仁の名を呼ばずに、ただ、『深草御陵、深草御陵、深草御陵』と小さく囁く。
そうこうするうちに、雄仁は泉涌寺の参道の前に立った。
『深草御陵、深草御陵、深草御陵』
ハナの囁きは依然続いていた。