第五十六話 大合唱の囁き

一瞬、所謂現実の世界に引き摺り込まれそうになった雄仁だった。
普段の雄仁であれば、そのままずるずると、まるで平泉の風俗に引き摺り込まれたのと同じ状況になっていた筈である。
しかし幸い、堕落警官の成れの果てで、今や今屋の丁稚になり果てた南野たけしは、ここにはいなかった。
嗾す邪魔な存在は何処にもいない。
『あいつはほんとうに厄病神だ!』
熟(つくづく)そう思う雄仁だった。
『平泉は最高のところだ!』
熟(つくづく)そう思う雄仁だった。
『変な奴もいるところだ!』
熟(つくづく)そう思う雄仁だった。
『もう一度平泉に行ってみたい!』
熟(つくづく)そう思う雄仁だった。
『あんだ!何をぶつくさぶつくさ言ってんだあ!』
雄仁は一瞬目が醒めた。
「お升さん!」
囁きではなかった。
呟くだけでもよかった。
しかし叫んだ雄仁だった。
『あんだ!何をぶつくさぶつくさ言ってんだあ!おれはハナだべえ!』
熟(つくづく)そう思う雄仁だった。
『しまった!』
それだけならよかった。
「口に出したら最後、この世は地獄と化してしまう!」
口に出してしまった雄仁。
『あんだ!もういいだべ!』
ハナの囁きが消えてしまった途端、雲西が元気を取り戻し、何かぶつくさぶつくさ呟いている。
『ハナさん!ハナさん!ハナさん!』
三回呟いたら、おかしげなことが起こる兆候なのである。
「あんたたちは、姉妹じゃないか!それをはしたないことを!」
またもや口に出してしまった。
ハナも雲西も、うんざりした。
「母子ではしたないことをしたのは何処の誰なんだ!」
ハナと雲西で大合唱したのだ。
『そりゃないでしょう!』
こんな時だけ囁くのが、血の良さだった。
『そりゃないでしょう!』
三人の大合唱だった。