第三十五話 万世一系の不幸

平泉でのふたりの家は、今屋の離れだった。
札幌の蝦夷屋の主人の名前は源春雄だ。
平泉の今屋の主人の名前は藤原一郎だ。
郁子は苦しかった。
息苦しかった。
息苦しくなると雄仁は、「死んでやる!」と叫ぶ。
息苦しくなると郁子は、誰にでも抱かれる。
そんなふたりが心底愛し合っているこの世は、まさに地獄絵巻だ。
しかしそんなこの世で生きていくには、食べていかなければならない。
雄仁と郁子は今屋で臨時雇いにしてもらった。
「よかっだべなあ!あんだだじ・・・」
お升が我が事のように喜んでくれ、雄仁はお升に感謝した。
メス犬は妊娠しなくても、一度交尾をしたオス犬の精子を永遠に持ち続ける。
まさに烙印である。
一度雑種の犬と交尾したメス犬は、いくら血統書つきであっても、もう御用済みの雑種である。
万世一系の天皇家に雑種の血を放り込まれたら一大事である。
雄仁の優柔不断さのもうひとつの原因が、ここにあった。
明治時代に入って、日本人の血に一気に雑種の血が入り込んだ結果、日本人の顔つきは、明治以前と完全に変わってしまった。
一生に一度だけの、お伊勢参りで間違いを犯す危険もあるから、結婚するまでの純潔を大事にした日本人。
イスラム国家の伝統である、メッカに一生に一度お参りするハジという行事は、まさにお伊勢参りと同じであり、イスラム国家では、結婚した新婦が純潔でなかったら、新婦の父親は新郎の前で自分の娘を殺してお詫びをする。
そしてその父親は殺人罪に問われない。
民族の純潔を守るということは、これほどにストイックでないと無理なのである。
雄仁が引く血はまさに純潔中の純潔でなければならなかったのであり、それだけに口の硬さも要求されたのである。
雄仁は苦しかった。
雄仁は息苦しかった。
そして郁子も苦しかった。
そして郁子も息苦しかった。
万世一系の天皇家の血を守ることは、およそ奇跡的なことである。
嘗て、蘇我一族が。
そして藤原一族が外戚として天皇家の万世一系を守り続けたのは、それなりの意味があったのである。
昭和から平成に入って、この伝統は遂に破られた。
雄仁は苦しかった。
雄仁は息苦しかった。
そして郁子も苦しかった。
そして郁子も息苦しかった。