第三十二話 ふたりの世界

入り婿として雄仁は蝦夷屋に入った。
京都の都屋で呉服商いを学んだお陰で、蝦夷屋での仕事も無難にこなすことができた。
しかし雄仁の使命は、飽くまで種馬である。
三人姉妹しかいない源一族にとって、跡継ぎ問題はこれで片付いたかに思われ、平和な日々が続いた。
郁子のふたりの姉たちも、種馬である雄仁を大事にしたが、所詮種馬であることに変わりはない。
ある日、郁子が急に体の不調を訴えた。
「大丈夫かい?」
雄仁は心配そうに郁子に訊ねた。
「ええ、女の身体は微妙にできているから・・・」
意味ありげな言い方をする。
『ひょっとして!』
雄仁は不安と期待の交錯する中で閃いた。
郁子も応えた。
「そうなの、できたかも・・・赤ちゃんが」
郁子は期待感だけだった。
男は頭でっかちの生き物である証である。
女は体でっかちの生き物である証である。
不安と期待の狭間で分裂症状に苛まれる男。
期待のみの瞬間湯沸かしで火傷をする女。
ドイツにこんな逸話がある。


一匹のひよこが生まれた
そのひよこはとても聡明だった
ある日ひとりの人間が鶏小屋にやってきた
ひよこは警戒してさっと身を隠した
その人間はとうもろこしを置いて去った
翌日またその人間が鶏小屋にやってきた
ひよこは警戒してさっと身を隠した
そんな日が数日続いた
聡明なひよこは考えた
人間が現れたらとうもろこしも現れる
そしてとうもろこしを置いて去って行く
ある日また人間が鶏小屋にやってきた
ひよこはさっと人間の前に踊り出て感謝の気持ちで言った
“人間が現れたらとうもろこしも現われる!”
そしてひよこの首が剥ねられた


人生とはこんなものである。
昨日も、一昨日もそうだったからと言って、今日もそうだとは限らない。
今日はそうだからと言って、明日も明後日もそうだとは限らない。
人生に必然なんて一切ない。
人生はすべて偶然のもの。
生まれるのも偶然。
死ぬのも偶然。
偶然の連続の中で何がわかる。
雄仁は郁子を確かに愛している。
郁子も雄仁を確かに愛している。
愛はふたりの想いを結晶化させひとつになる。
しかし結晶化した雪はやはり雪である。
雪はいつか溶けて消滅する。
そのときふたりの世界が現れる。
それこそ真実の愛である。