第三十一話 ひとりの世界

越中屋に入ったふたりを待ち受けていたのは、都屋の主人・橿原公威でもなければ、蝦夷屋の主人で、郁子の父である源春雄でもなかった。
「お姉さん!」
勢い込んで越中屋に乗り込んだ郁子だったが、郁子の姉の徳子と和子が越中屋の玄関で待っていたのである。
「郁子さん、どうして雄仁さんと逃避行する必要があって?あなたたちは一緒になる約束をした同士でしょう?」
長女の徳子が静かに言った。
「そうよ。もともとお父さんと都屋の橿原さんとで進めた縁談じゃなくって?それをどうして逃げ出す必要があるの?」
次女の和子も言った。
『何を言ってるの!ふたりの仲を一番裂きたいと思っているのは、あんたたちふたりじゃないの・・・』
郁子が呟いているのを、雄仁が知るべくもなかった。
『どうして彼女らが、ここにいるのか?』
雄仁も疑問を持った。
心の中で思ったことはすぐに相手に伝わるのが、想いの世界では常識である。
「どうしてわたしたちがここに?」
徳子が雄仁に向かって言った。
「それはね・・・」
徳子が喋りはじめた。
都屋の主人・橿原公威が、蝦夷屋の源春雄から雄仁の婿入りの話を持ちかけられて、郁子と都屋で対面した。
郁子の雄仁に対する想いを確認した橿原公威は、平泉から帰ってくる雄仁を待って相談をした。
『そこまでは、その通りだ!』
雄仁は心の中で肯いていた。
ところが、肝心の雄仁が、その話に逆上して主人の橿原公威に殴りかかり、怪我をさせてしまった。
橿原公威の怪我はさいわい軽症だったが、事態を重く受けとめた雄仁は、都屋から姿を消した。
『嘘だ!』
思わず大声で叫びそうになった雄仁だったが、そこで郁子が中に入った。
「じゃあどうして、お姉さんたちも、お父さんも、そして橿原さんも・・・わたしたちが小樽にいるのを知っているの?」
「何を、郁子さん言っているの?あなたが小樽のホテルから電話してきたじゃないの!」
次女の和子が腹立しげに言った。
郁子にはそんな覚えはなかった。
「わたしは、越中屋の倉庫の中でふたりのチンピラに暴行を受けたのよ!」
『ふたりのチンピラを送り込んだのは、あなたたちでしょう!』と言わんばかりの口調で郁子は泣いて訴えた。
「そのチンピラというのは、この人たちでしょう?」
徳子が越中屋の手代のひとりに顔で合図すると、奥から平泉駅の交番の警官が、ふたりの男を引き連れて出てきた。
「ああ!」
「ああ!」
雄仁と郁子が叫んだ。
「平泉ではお世話になりました」
警官が雄仁に向かって一礼をした。
「倉庫の中で厄介をかけました」
ふたりの男が郁子に向かって一礼をした。
ふたりは完全に混乱状態に陥った。
京都と平泉を結ぶ線は、幻想の世界を恰も現実の世界つまり所謂現実の世界として投影する。
京都と札幌も同じだ。
しかし札幌と平泉を結ぶ線、札幌と小樽を結ぶ線は、幻想の世界はそのまま幻想の世界、現実の世界はそのまま現実の世界として投影するから、所謂現実の世界を投影することはない。
結局、世界の道はローマへと繋がるように、日本の道は京都へと繋がっている。
世界の道も、日本の道も、京都とローマを結ぶシルクロードであった。
京都とローマが実在の世界なら、シルクロードはすべて幻想の世界であり、京都とローマが幻想の世界なら、シルクロードはすべて現実の世界になる。
雄仁と郁子は、完全に幻想の世界と現実の世界が、他の者たちとどんでん返しになっていたのである。
『結局は、何が夢で、何が現実だったのだろうか?』
雄仁は自問自答したが、答えは見出せなかった。
『自然に任せるしかない・・・』
郁子の結論だった。
そのとき、ふたりの世界がひとりの世界に溶け込んでいった。
そしてふたりは晴れて結ばれたが、世間一般のような結婚はしなかった。
平岡雄仁は飽くまで平岡雄仁として、源郁子は飽くまで源郁子として、平泉で新居を構えることにして、平泉がふたりの新しい御所の地となった。