第二十八話 遠い正気の道

正気に戻った雄仁は、今自分が何処にいるのかまったくわからなかった。
夢の世界なのか、現実の世界なのか判別ができなくなるぐらいリアルな映像は、滅多に観られるものではない。
『ここは一体何処なんだ!』
先ず、まわりの壁を眺め、更に天井を眺める。
しかし、人間は普段、自分の部屋の壁や天井ですら見ることがない。
だから夢を観るのは大抵自分が一番よく知っている部屋なのだが、こういった状態のときは、その場所が一体何処なのかわからなくなるのである。
それは展開していくと、自分の家、自分の住んでいる町、自分の住んでいる国、自分の住んでいる地球、自分の住んでいる宇宙へと拡げられる。
自分の部屋の壁・天井、自分の住んでいる町の壁・天井、自分の住んでいる国の壁・天井、自分の住んでいる地球の壁・天井、そして最後に自分の住んでいる宇宙の壁・天井と展開していくと、結局、壁や天井は自分の世界に存在しないことがわかってくる。
そして今度は反転して、自分の住んでいる宇宙から、自分の住んでいる地球、自分の住んでいる国、自分の住んでいる町、そして最後に自分の住んでいる部屋に戻ってくる。
そうすると、自分の部屋は空(から)の部屋であった、その空(から)の部屋の中に空(から)の自分だけがいることに気づくのである。
空想の旅は人によって差があるが、雄仁の空想の旅はほんの3分ほどであり、やっと狂気の中の正気の世界に戻ってきた。
「郁子さん!」
大声で叫んでみた。
「郁子さん!」
部屋の壁が溶けてゆき、部屋の天井が溶けてゆく。
そうすると徐々に、真暗闇の空(から)の部屋の中に横たわっている郁子の姿が浮き彫りにされてきた。
「郁子さん!大丈夫かい!」
雄仁の声で目が醒めたらしい。
「一体どうしたの?」
郁子の寝ぼけ眼の様子を確認してはじめて、自分が何処にいるかを思い出した雄仁は、自分の下半身を眺めた。
浴衣の下半分が血で真っ赤に染まっている。
「わあああ!」
仰天した雄仁が仰向けに倒れた。
「雄仁さん!雄仁さん!」
心配した郁子が、仰向けに倒れた雄仁の股座の間を覗き込んで叫んだ。
郁子の声で気がついた雄仁は、覗き込んだ郁子の顔を見て、少し落ち着いた様子だったが、郁子の顔の両側に不気味な正体不明の大蜘蛛の足が迫ってくるのを見て再び仰天した。
「わあああ!郁子さんあぶない!またあのチンピラ蜘蛛が襲って来る!」
正気の沙汰でない雄仁の様子を見ていた郁子は呆れ返って言った。
「何を言っているの!それはあなたの足でしょう!」
雄仁はやっとまともな正気に戻っていた。