第二十二話 変身

『オヒトちゃん!オヒトちゃん!』
沈黙を保っていたハナの意識が動き出した。
『オヒトちゃん!オヒトちゃん!』
今までハナが雄仁に囁きかけるのは、他の女性を抱擁している時か、雄仁から囁きかけた時だった。
雄仁がいくら囁きかけても返事しないハナだったのに、急にハナから囁きはじめたのである。
その時、雄仁は郁子のことを考えていた。
札幌に着いた雄仁は、しばらく蝦夷屋には顔を出さずに、札幌市内にあるホテルに泊まることにした。
橿原公威が救急車で運ばれた時と同時に雄仁の姿が都屋から消え、都屋の連中が雄仁の行方を探していることもあったからだ。
「公威はんが怪我をして救急車で運ばれたとき、雄仁はんが傍にいたはったんやけど・・・それ以来姿が消えてしまはったんえ・・」
公威の母親は警察の事情聴取にそう答えた。
警察は別段怪しい事件だとも取らなかったが、都屋の連中が雄仁を独自に探し始めたのだ。
平泉の今屋にも、都屋から問い合わせの電話が入った。
「都屋の平岡さんが、急に蒸発してしまったらしい」
今屋の主人・藤原一郎が嫁のお升に言った。
「そうですか・・・雄仁さんが蒸発されたんですか・・・」
お升は感慨深げに呟いた。
「お升は、彼のことを気に入っていたから、何処に行ったかわからないかね?」
一郎の言葉にも、お升は動揺せずに淡々と答えた。
「多分、蝦夷屋の郁子さんのところへ身を寄せているんじゃないかと思いますがね・・・」
「そうかい、お升はそう思うかい?彼がここにしばらく滞在した際、彼がお前と話をすると決まって耳を閉じている節があったように思うんだが、お前は気づいていなかったかい?」
「気づいていましたよ。わたしは平岡さんと話する際には、心を凍らせて喋っていましたから、冷たい言葉だとあの人は感じていたんじゃないでしょうか」
「やっぱりそうだったのかい・・・」
一郎は何かに取り付かれたような表情だったが、お升は淡々としていた。
『あんだ!とうとう郁子さんのところだいっだべか・・・』
お升は心の中で呟いていた。
「何か言ったかい?」
一郎がお升に訊いたが、ただ首を横に振って微笑むだけだった。
ホテルの部屋に閉じこもっていた雄仁は、ハナからの囁きを受信できなかった。
「もし、もし。郁子です」
郁子からホテルに電話が入った。
「都屋さんが、雄仁さんのこと必死になって探しているみたい」
郁子と会話を交わすと心が落ち着くことに気づいた雄仁は、決して自分から郁子を求めるようなことはしなかった。
「平泉の今屋さんのご主人からも、店に電話があったそうよ・・・」
今屋という言葉で、雄仁はお升のことを思い出しはしたが、それ以上心が動くことはなかった。
「しばらく、こんな状態のままでもいいの?」
郁子の言葉に雄仁は真剣に答えた。
「自分の中の本当の自分をいま探しているところなんです。それを見つけ出すまではこのままでいいんです。いいんです・・・」
郁子は雄仁の気持ちを察していたから、それ以上何も言わなかった。