第二十一話 ガラスに映ったふたり

郁子は雄仁の異常な反応にも決して動揺するようなことはなかった。
「雄仁さん、大丈夫?」
「こけこっこ!カア、カア!こけこっこ!カア!」
夢の中での出来事、醒めた中での出来事が完全に混在しているのだが、郁子は四六時中続いている夢と、四六時中続いている現実の区分けをきっちりとしていた。
「こけこっこ!カア、・・」と雄仁が叫ぶタイミングを見計らって、間髪を入れずに言った。
「雄仁さん、大丈夫?」
「こけこっこ!」と叫んでいる間は夢の世界にいる。
「カア!」と叫んでいる間は現実の世界にいる。
その狭間が夢の世界でもない、現実の世界でもない、ニュートラルポイントである。
呼吸で例えれば、呼気が夢の世界で、吸気が現実の世界である。
その折り返し点がまさにニュートラルポイントである。
全体宇宙と絶対宇宙とを繋ぐワームホールという時間を超越したタイムトンネルがニュートラルポイントという五次元世界なのだ。
雄仁は、時間に制御される現実の世界と、時間を制御する夢の世界を往来しているが故に、幻想状態に陥っている。
普通の人間は、目が醒めている間は現実の世界だけに目をやり、眠っている間は夢の世界だけに目をやっている。
夢の中では、まるで狂気そのものであっても許されると思っている。
その代わり、現実の中では、正常でいようとする。
この方が遥かに異常事態であることを認識していない。
現実の世界と思っているのは、実は所謂現実の世界なのであって、実在する現実つまり実存ではないのである。
雄仁は、夢の世界と現実の世界が混在している中に浸っている。
それが実存そのものである。
郁子は理屈でわかっているのではないが、実態としてわかっている。
それは、郁子の深い部分、つまり宇宙と一体になっている部分で、感じ取っている。
それこそが、真実の愛なのである。
今まさに郁子は実感していた。
『わたしは、本当にこの人を愛しているのだ!』
その瞬間(とき)雄仁は正気に戻った。
「郁子さん、ここは何処ですか?」
「千歳空港の到着ロビーよ」
微笑ながら雄仁に囁く郁子は、蝦夷屋の娘であることを完全に忘れ、独りの女として自覚していた。
「そうか。僕は札幌に向かって飛行機に乗っていたんだ!」
「そうよ、飛行機の中でのこと憶えている?」
「いや、全く憶えていないよ・・・」
郁子の横で聞いていた、スチュアーデスと機長は、雄仁の言葉を聞いて、立ち去って行った。
「どうかしたの?あの人たち・・・」
首をかしげて郁子に訊ねた雄仁の腕を胸もとにたぐり寄せようとした郁子だったが、急に手の平を合わせるだけにした。
雄仁の手の平の冷たさが郁子の手の平に伝わった。
郁子の手の平の温もりが雄仁の手の平に伝わった。
そして二人の温もりとなった。
「行きましょう!」
「うん!」
千歳空港のロビーの大きなガラスに、二人の背中だけが映っていた。