第十九話 正気の愛

「もし、もし。郁子ですが」
岐阜駅で別れて以来だった。
「美濃以来ですね」
雄仁が懐かしそうに言った。
「そんなことないでしょう!夢の中で何度も雄仁さんと会っていたもの・・・」
雄仁も、幻想の世界では何度も郁子の囁きを聞いていたが、囁きとなるとハナのことが先ず浮かんでくる。
近ごろ、ハナからの囁きが殆どなくなっていたために、郁子のことも、所謂現実の世界では美濃での出来事以来であった。
『彼女も、夢の世界では自分と逢瀬を重ねているのだ!』
「ふたりのことお聞きになった?」
郁子に婿入りする話だった。
「ええ、橿原社長から聞きました」
郁子が急に黙った。
「どうかしましたか?」
「橿原社長さんてゲイじゃないの?」
雄仁が留守にしていた都屋に郁子が訪問したことがあって、そのときに橿原公威に会っていた。
『女の勘は鋭い!』と雄仁は思った。
「どうしてそんなこと言うんですか?」
雄仁はジャブを出してみた。
「隠さなくてもいいじゃないの!ははは!」
郁子はすべてお見通しの様子で、受話器の向こう側で笑いこけているようだった。
「別に隠しごとなんて何もないですよ・・・」
「ははは!」
ますます郁子は大笑いしながら言った。
「あの社長さんと雄仁さんはホモ関係だったんでしょう?雄仁さんと抱き合ったわたしなら、そんなことすぐにわかるわよ」
雄仁は黙ってしまった。
「このままだと、いつか必ず雄仁さんと、あの社長さんとの間に大変な事件が起きそうな気がして仕方ないの・・・」
女の勘は、男の知性を遥かに凌ぐものがある。
「それで、僕と結婚を・・・」
男の知性を発揮してみた。
「そんな!わたしは・・・」
知性と勘が衝突すると、男と女は泥沼に入り込む。
「僕を、社長から引き離すための口実なんでしょう?」
ひょっとして脳裏をかすめたかも知れないと、郁子はそのとき思った。
女の知性が働くのは、勘を働かせた後である。
それが男からすると、女は流されるように思われる。
男の勘が働くのは、知性を働かせた後である。
それが女からすると、男は優柔不断なように思われる。
そしてお互いに泥沼に入り込む。
「そんな変態の男でもいいんですか?」
郁子は黙っていた。
受話器の向こうで泣いているようだった。
「だって、わたしを抱いている雄仁さんは、絶対に変態じゃないもの・・・」
「すみません、変なことを言って・・・」
雄仁は初めて異性に対する愛しさを感じるのだった。
気がつくと、札幌行きの飛行機に雄仁は乗っていた。