第十八話 正気と狂気

『ハナ!ハナ!ハナ!・・・』
いくら雄仁が胸の内で大きく叫んでも、ハナはやって来なかった。
狂気と正気は表裏一体のものである。
橿原公威という狂気を相手にしていた間、雄仁は正気の状態を必死に維持していた。
正気の状態で、時間と空間を超えることは不可能である。
想いがテレパシーによって時空間を超えるには、想いを三次元空間の法則も、四次元要因である時間の法則も超えたところに置かなければならない。
我々の存在している世界は、四次元要因の時間というレールの上を三次元空間という乗り物が走っているようなものである。
時間というレールの上を走っている限り、いくら速度を上げて光速と等速にしてみても、時間と空間の法則から逸脱することはできない。
時空間宇宙が誕生するとき、また死ぬときがそのチャンスである。
誕生と死。
この問題は、人間だけではなく、ミクロの素粒子からマクロの大宇宙まで貫く永遠のテーマである。
四次元時空間世界の誕生と死を超えるには、五次元世界に突入するしか方法はない。
ある宇宙と他の宇宙との橋渡し役を担っているワームホールこそタイムトンネルとしての五次元絶対宇宙であり、そこでは空間も時間も超越してしまっている。
夢の世界とは、五次元絶対宇宙を一瞥できる、まさに夢の世界であり、四次元世界に生きるわれわれにとっては狂気の世界と見えるのである。
狂気の世界から正気は狂気である。
正気の世界から狂気は正気である。
われわれはみんな狂気の世界から正気であって、それは実は狂気そのものであると言える。
橿原公威は狂気の世界からの正気の狂気であるのに対して、雄仁は正気の世界からの狂気の正気であって、水と油の関係に酷似している。
その結果が、今回の事件を生んだのである。
『ハナ!ハナ!ハナ!・・・』
ハナをいくら呼んでも同調しないのである。
ハナは橿原公威と同じ、狂気の世界からの正気の狂気である。
札幌での出来事。
平泉での出来事。
雄仁は狂気の世界からの正気の狂気の状態にいた。
しかし、平泉の駅で、今屋の主人藤原一郎とその嫁・お升の姿を見たとき、雄仁は正気の世界からの狂気の正気に変わってしまった。
ハナは必死に雄仁と同調しようとするのだが、必死になればなるほど、水と油を必死に掻き混ぜることになる。
『ハナ!ハナ!ハナ!・・・』
雄仁は、自分が正気の状態でいることに気づかずに、依然ハナを呼んでいた。