第百四十九話 目に見えぬ太い糸

『兄のたけしが出所すれば、彼と必ず衝突する。衝突すれば、当局の監視下にある兄にどんな運命が待ち受けているか想像もできない・・・』
兄のたけしを迎えに行く郁子の足どりは重かった。
門の横にある受付けまで辿り着いた郁子は、気持ちを落ち着けるためにしばらく立っていた。
受け付けの警護官が怪訝な表情で郁子を見つめている。
「お兄さんを迎えに来られたのですか?」
背後から突然話し掛けられた郁子が振り返った。
「ああ、検事さん!」
雄仁に刺されて府立病院に運ばれ、辛うじて一命を取り止めることができた命の恩人の森五郎だった。
さいわい、傷は大したことはなく、郁子は10日間で退院した。
その10日間、五郎は毎日見舞いに行ったにも拘らず、郁子は五郎に黙って退院してしまったのだ。
申し訳なさそうに下を向いている郁子に、五郎は言った。
「平岡雄仁が、お兄さんに面会に来たそうですよ」
郁子は仰天した。
「しかも、お兄さんがあなたに頼まれた、『カスケード』を持参して・・・」
郁子の持っていた鞄がぶるぶる震えている。
「自分が、郁子さんを刺したことを、お兄さんに告げたようですが、お兄さんは左程動揺していなかったようです」
『この人は、わたしの心を混乱させるために、こんなことを言っているのだろうか?』
郁子は五郎の意図を計りかねていた。
『わたしのために、毎日見舞いに来てくれていたこの人は、わたしに対して特別の感情を持っている筈なのに、どうして・・・』
現世の因果では、到底予想し得ないような、心情が郁子を取り巻く男たちに働き掛けているようであった。
「終身刑委員会からの通知状には、ショックな内容のことが述べられてあったでしょう?」
郁子ははじめて素直に頷いた。
『この人は、やはりわたしのことを心配で、来てくれたのだ・・・』
「終身刑委員会なんて、私的な機関なのですが、あなたの家系にも関係する一族の力が働いて、わたしたち司法当時者も手出しできないような決定が下されたのです。この国はいまだに、一握りの者たちに支配される奴隷社会です」
終身刑委員会からの通知状を読んだ郁子も、当然嫌な予感がしていたから、兄のたけしを迎えに行く足どりが重かったのだ。
更に、もうひとつの原因である平岡雄仁との確執の心配が、既に現実のものとなっていたことを知らされたため、全身から力が抜けていき、五郎に抱かれたまま気を失ってしまった。
ふたりの様子を、門の影から見つめていた平岡雄仁が、先に門の中に入って行った。
藤原たけしの目に見えない糸は、妹の藤原郁子や森五郎よりも、より太い糸で平岡雄仁と繋がっていたのである。