第百三十九話 断崖と深淵

更に、ボッチェリは、彼のバイブルであるCascade で言う。

“Cascade 4 姦淫
あなたがたも聞いているとおり、『姦淫するな』と命じられている。
しかし、わたしは言っておく。
みだらな想いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。
もし、右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。
体の一部がなくなっても、全身が地獄に投げ込まれない方がましである。
もし右の手があなたをつまずかせるなら、切り取って捨ててしまいなさい。
体の一部がなくなっても、全身が地獄に落ちない方がましである。
『妻を離縁する者は離縁状を渡せ』と命じられている。
しかし、わたしは言っておく。
不法な結婚でもないのに妻を離縁する者はだれでも、その女に姦通の罪を起こさせることになる。
離縁された女を妻にする者も、姦通の罪を犯すことになる。
先ず、女が罪を犯す故に、女の存在そのものが、原罪となる。
罪を犯す女に溺れる男は、原罪にはなり得ぬが、罪の大きさにおいて、女を遥かに凌ぐ。
斯くして、男性社会が誕生したのである。
これから凡そ500年のうちに、男性が原罪を犯し、男性に溺れる女性が大きな罪を犯すことによって、再び女性社会が誕生する。”

男は最初の男になりたがる。
女は最後の女になりたがる。
こんな男女が愛憎の中で目眩めく巡るのだから、際限の無い泥仕合となるのは必定である。
ヘロイン中毒になると、際限の無い堂々巡りを、独りという実在の世界で展開する。
人間の意識は、三つのタイプに分けられる。
一番表層にある意識が、上辺だけの意識だ。
“おはようございます!”
“御機嫌如何ですか!”
“今日は!”
挨拶言葉だけで生きているタイプだ。
上辺だけの意識の下にあるのが、肩書きの意識だ。
“わたしは先生だ!”
“わたしは金持ちだ!”
“わたしは総理大臣だ!”
肩書きに依存して生きているタイプだ。
このタイプが一番臆病な意識であり、殆どの人間がこのタイプだと言ってもいいであろう。
上辺のタイプ、肩書きのタイプは、無難な生き方と言えなくもない。
だから多くの人間が、この意識レベルで停滞する。
何故なら、このふたつの意識の下に深淵に繋がる混沌の意識があるからだ。
深淵は、その断崖絶壁の上から、その下を見ることができるから深淵である。
上辺のタイプと肩書きのタイプは、常に断崖絶壁の辺りを目眩めく巡る。
まさに、男と女の鍔迫合いが、断崖絶壁の平家の馬場で展開されるのは、上辺のタイプと肩書きのタイプの鍔迫合いという、人間の低レベルでの戦いなのである。
無意識の中で、男と女は憎しみ合い、絡み合う。
五郎と容子は、男と女の戦いの結果、五郎が深淵へ落ちていった。
亨と容子は、いまだに断崖絶壁の平家の馬場で、低レベルの戦いを続けているのだ。
亨は、筍亭での、五郎との人間としての意識の疎通を交わすことができたのが、せめてもの救いであった。
五郎が、深淵から断崖絶壁の平家の馬場で悶々としていた亨を、手招きし、亨は清水の舞台から飛び降りたのだ。
結局の処、男を救うものは男しか在り得ないということなのだろうか。
それでは、女を救うものも女しか在り得ないということなのだろうか。
男は深淵から手招きをするが、女は決して手招きをしない。
何故なら、女は決して深淵に落ちようとしないからだ。
結局、女は救いようのない生き物ということなのだろうか。
容子の態度を静観していた五郎と亨は、そう思わざるを得なかった。