第百三十一話 Cascade 15 死からの復活

五郎が、一冊の本を拾い上げた。
『「カスケード(上)」だ!』
96ページが開かれてあった。

“Cascade 15 死からの復活
昼間の12時は明るい筈なのに、全地は暗くなり、それが3時まで続いた。
3時にインマヌエルは大声で叫んだ。
『エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ』
これは、「我が神、我が神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
そばに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、「そら、エリアを呼んでいる」と言う者がいた。
ある者が走り寄り、海綿に酸い葡萄酒を含ませて葦の棒に付け、「待て、エリアが彼を降ろしに来るかどうか、見てみよう」と言いながら、イエスに飲ませようとした。
しかし、イエスは大声を出して息を引き取られた。
すると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。
百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。
そしてイエスがこのように息を引き取られたのを見て、「本当に、この人は神の子だった」と言った。
また婦人たちも遠くから見守っていた。
その中には、マグダラのマリア、ゼベダイの子ヤコブとヨセフの母マリア、そしてサロメがいた。
この婦人たちは、イエスがガリラヤにおられたとき、イエスに従って来て世話をしていた人々である。
なおそのほかにも、イエスと共にイェルサレムへ上って来た婦人たちが大勢いた。

イエスの母マリアが、ヨセフの母となり、ヤコブの母となり、マグダラのマリアがそばにいるのは、イエスが母マリアに最後の言葉を発した後のことである。
「婦人よ、主の御心は達成された」
そして、母マリアに言った。
「そこにいるヤコブは、あなたの息子だ」
そして、ヤコブに言った。
「そこにいる婦人は、あなたの母だ」
ゴルゴダの丘に足を踏み入れる直前に、イエスの母マリアに言っている。
「母よ、新しい世界がやって来る」
イエスの復活とは、肉体の復活ではない。
イエスの復活とは、魂の復活でもない。
イエスの復活とは、真理を人から人へ伝えることである。
真理を人へ伝えることができた者こそ、死からの復活によって、死からの解放が実現できるのだ。
肉体と魂は同じものであり、真理を運ぶ乗りものに過ぎない。
肉体と魂が消滅する前に、自己の独自の真理を乗せ換える作業をすることで、人は死の恐怖から解放される。
輪廻転生など、この世では一切ない。
輪廻転生が無いのであるから、あの世なども一切無い。
あるのは、自己を体現した、肉体と想いだけである。
復活とは、肉体と想いが消滅することによって、他の生命ある誰かの記憶に自己の存在感を留めることである。
イエスはそれを教えているのだ。
(Cascade 15)は葡萄15粒に値する真理であり、葡萄1粒に値する真理でもある。 ボッチェリ ”

カスケード(上)の96ページに書かれてある内容である。
最後の一節である、“(Cascade 15)は葡萄15粒に値する真理であり、葡萄1粒に値する真理でもある ”だけが、五郎の目に止まった。
気を失っている郁子のそばに、突然走って行った五郎は、その一節の書かれてあるページを郁子の顔に合わせた。
気を失っていた郁子の体が小きざみに動き出した。
その時、救急車のサイレンがした。
五郎はほっとして呟いた。
『ああ、郁子さんが復活した!』
亨もほっとして呟いた。
『ああ、祥子が復活した!』
人の想いは、肉体をも変えることができる。
雄仁に腹を刺された郁子が救急車に乗せられて、病院に向かうのを、ふたりは呆然と見守っていた。