第百三十話 所謂現実への回帰

百万遍の交差点に差し掛かった五郎の運転する車が、都屋の前に停車した瞬間、雄仁が郁子に襲いかかった。
一瞬の出来事で、五郎も亨も車の中で金縛りに遭った状態に陥り、ただその光景を眺めているだけだった。
雄仁は、手に持った二冊の本を振り上げて、郁子目掛けて放り投げた。
二冊の本が、郁子の顔に襲い掛かり、郁子は脳震盪を起こして、その場に倒れた。
郁子が抱き抱えていた一冊の本が、百万遍の交差点に放り出され、三冊の本が、京都の知性の交差点でもある位置で奇しくも交錯した。
その様子を窺っていた五郎と亨は、思わずドアーを開け、三冊の本に飛び掛かろうとする。
雄仁は、本に構わず一直線に郁子に向かった。
気を失っていた郁子が、雄仁の気配に気がついた瞬間、下腹に電気が走り、再び意識が遠離って行く。
百万遍の交差点は、無声映画の映像が停止したような状態になり、ただ光景が静止したままでモノクロの光を発している。
その中で、雄仁だけが動いていて、郁子は雄仁が発する光を浴び、まるでスポットライトを浴びせ掛けられた状態で、五郎と亨がスローモーションで空中を飛ぶ三冊の本を、蝶を追い掛けるように腕を伸ばしている。
三次元空間を貼り付けられた郁子の姿は完全停止し、四次元時空間を貫く雄仁は動き回り、その狭間を彷徨う五郎と亨であった。
「お前は、時間と空間を超えて、朕に峰打ちを受ける宿命を背負っている。そのことに気がついたら、自から立ち上がって、朕の世界に没入するのだ!」
意識が朦朧としていた郁子は、雄仁の言葉に触発されて、静止していた時間の流れから脱け出そうとした。
雄仁の動きについていけない五郎と亨は、夢の中で何者かに追い掛けられているような感覚に陥っている。
それは所詮夢なのだが、すぐには気が付かない。
普段の人間が住む世界は、三次元世界と四次元世界の間を往来するスローモーション世界だ。
三次元世界から眺めれば、ハイモーションであり、四次元世界から眺めれば、スローモーション世界である。
モノクロ画面の中で、赤い血だけが浮きあがったような気がしたのは、ふたつの世界の狭間にいる五郎と亨だけだった。
三冊の本を追い掛けていた五郎と亨は、郁子に異変が起きていることに、そこで気がついた。
五郎が郁子に焦点を変えた。
そして亨も・・・。
雄仁に刃物で腹を刺された郁子が、血だらけになって倒れている。
「君、大丈夫か?」
五郎が郁子に叫んだが、郁子は気を失っている。
「救急車を呼んでくれ!」
亨が、誰彼となく叫ぶ。
雄仁は既に時という光速船で、『今、ここ』から脱出していた。
「郁子さん!」
五郎が叫ぶ。
「祥子!」
亨が叫ぶ。
ふたりからメッセージを送られる郁子は容子に変身している。
現(うつつ)の夢は、彼様な光景である。
600年の時空を超えたメッセージは彼様な世界をイメージし、創造する。
所謂現実の世界に回帰するには、もう暫くのリハビリが要る。