第百二十五話 パスティール・ボッチェリ

パスティール・ボッチェリ。
1452年、北イタリア・トスカーナ地方のシエナという城塞の町に生まれたパスティールの生家は、葡萄園を営んでいた。
十字軍が東ヨーロッパを席巻していた中世ヨーロッパの時代は、町は殆ど要塞で守られた城塞の町であったが、発祥の地はフィレンツェを中心にしたトスカーナ地方の城塞の町がモデルで、城塞の町のことを、ドイツ語でBurg(ブルグ)と言い、ロシア語でGrad(グラード)と言い、フランス語でBour(ブール)と言う。
そして、城塞の町に住んでいた人々を、Bourgeois(ブルジョア=市民)と呼んだのである。
ロシア革命によって、ブルジョア階級とプロレタリア階級との闘争と喧伝されているが、ブルジョアの語源は一般市民である。
ボッチェリ家は、当時イタリアのみならず、ヨーロッパ全域にその名を馳せていたフィレンツェのメディチ家が経営するワイン製造に力を貸していた。
メディチ家の当主・ロレンツォは、イタリアの祖国の父と呼ばれたコジモ・デ・メディチの孫に当たり、祖父のコジモは金融業で栄え、その取り引き先はローマ教皇、フランス国王、ハプスブルグ家の支配するドイツ・オーストリア・ハンガリー・スペイン・ポルトガルの王侯貴族たちにまで及んでいた。
ルネッサンスの原動力は、メディチ家の経済力であり、フランス出身のローマ教皇ウパニス二世が開始した十字軍遠征による東方貿易によるものだった。
当時のフィレンツェの経済力はヨーロッパ随一であり、その総生産量はイギリス一国のそれを上回るものだった。
商業活動はどんどん活発化し、計算に適したアラビア数字が導入され、小切手・信用手形・担保などの新しい経営方式は、この時代のフィレンツェで生み出されたものであり、そのフィレンツェで君臨していたのが、ロレンツォ率いるメディチ家であった。
コジモの孫だったロレンツォが生まれた3年後にパスティールがボッチェリ家の長男として生まれた。
ワイン製造に協力した葡萄園主と言えば、聞こえはよいが、実質はメディチ家の支配下にある荘園地主だった。
商業の町として繁栄したフィレンツェは、メディチ家の莫大な富を基に、ルネッサンスの礎を築いていく一方で、物質的な繁栄の陰の面として、享楽的風潮が強くなっていき、素朴な信仰心は薄れていた。
メディチ家絶頂の時期をつくったロレンツォが1492年に死ぬと、メディチ家は一気に没落の道を辿っていった。
ロレンツォが死んだ時、パスティールは40才になっていたが、その時までは葡萄園を経営する平凡な人生を送っていた。
ロレンツォが死ぬと、フィレンツェ教皇派と対立していた、シエナを中心とするドミニコ派が一気に台頭、シエナに居を構えるパスティールは、メディチ家との関係が裏目に出て、ドミニコ派の指導者であるサヴォナローラの激しい攻撃を受ける波乱の半生に陥った。
信仰心が薄れ、堕落したフィレンツェ市民は、ロレンツォの子・ピエロを追い出し、サヴァナローラを新しい指導者として選んだ。
サヴァナローラは修道士で、ルネッサンスの巨匠たちが創作した作品を、メディチ家の贅沢の極みの産物だとして、城塞の町シエナの広場で「火刑」に処すという暴挙に出た。
堕落していたフィレンツェ市民もさすがに、サヴァナローラの狂信的行為に嫌気がさし、1498年4月7日・日曜日の午後、サヴァナローラを「火刑」に処した。
ルネッサンスを産んだ町フィレンツェにとって、この年は大きな意味を持っていた。
狂信的指導者サヴァナローラの「火刑」を演出したフィレンツェの堕落した市民の心に大きな変化を齎す出来事であった。
レオナルド・ダ・ヴィンチの傑作、「最後の晩餐」が完成し、パスティール・ボッチェリの哲学書「カスケード」も書き上げられたのが、この年である。
旧約聖書の出エジプト記でのモーゼの教えを歪曲して、自分たちの利益のみを追求するのは、パリサイ人律法学者の祭祀の指導者層ではなく、彼らに唆される一般大衆であることを、レオナルドは「最後の晩餐」で、パスティールは「カスケード」で伝えたかったのである。
レオナルド・ダ・ヴィンチもパスティール・ボッチェリも、1452年生まれの同い年で、ロレンツォ・デ・メディチを介して親交があった。
ふたりが呼応して、1498年に世に出した作品は、その後のヨーロッパに大きな影響を与えていくことになる。
ルネッサンスの表舞台の主役として、レオナルド・ダ・ヴィンチが、ルネッサンスの裏舞台の主役として、パスティール・ボッチェリが、近代社会の精神構造を支える役割を果たしていくことになるのである。
ヴィンチとボッチェリは、古代ギリシャ哲学と近代哲学の狭間の中世哲学を、水面下で共有する関係になっていく。
暗黒の中世と呼ばれ、ローマ・ヴァチカン・カソリックの支配の時代と呼ばれ、十字軍遠征という暗いイメージの中世の中でも、良心ある人間が古代と近代の橋渡し役をしていたのであるが、現代社会においても、世に出てこないのは、イエスを十字架刑にした愚かな人間が織り為す不条理の為せる業なのであろうか。