第百十一話 父娘の絆

五郎が十二帝陵から飛んでやってきた拘置所であったが、そこはもう蛻の殻だった。
郁子の存在に気がつき、その郁子が放免されたことを知ったとき、亨の存在が脳裏を掠めたのだ。
亨は、自分の娘の祥子の出自の真相に気がつき、五郎は見知らぬ郁子の正体に気がつき、そのふたりを結びつけるのが平岡雄仁だと、ふたりは思った。
目に見えない糸で、亨と五郎は手繰りよせられている。
容子・祥子母娘に対する疑惑を、雄仁と郁子の関係に自ら介入することで、無理やり払拭した亨は、久しぶりに清々しい気分で家に帰った。
人間の脳味噌というものは、どうにでもなるようである。
遠い過去や、遠い未来に想いを馳せると、心の垢はどんどん積るが、できるだけ、『今、ここ』近くに手繰りよせることで、心の垢は雲散霧消するらしい。
過去や未来は、どうにもならないことだが、『今、ここ』という瞬間に手繰りよせることで、猛烈な風が吹き荒れて、心の垢を消滅させてくれるのだ。
悩みを解決する方法はないが、悩みを消し去る方法はあるということらしい。
「お帰りなさい!」
祥子が玄関まで迎えに出てきた。
亨は面と向かって祥子の顔を見ることができなかったが、頭を横に振って、脳味噌をがらがらポンすることで、煩悩を打ち消した。
「何だか、今日はご機嫌がいいようね!」
祥子は敏感な女性に成長していた。
彼女なりに、何かを察知していたらしい。
父親が自分の出自のことを疑っていると知ったら衝撃を受けるに違いない。
感受性の強い亨に親近感を持っていただけに、父親が何かに悩んでいることは、祥子を憂鬱にさせた。
しかし、そんな想いを母親の容子には決して打ち明けるようなことはしなかった。
容子も、どちらかと言うと感受性の強い女性であったが、何処か原因はわからないのだが、折り合いが悪いのだ。
いわゆる相性の問題というやつらしい。
「そうかい!そんな風に見えるかい?」
亨は無理やり顔を笑わせて祥子に言った。
「今、リビングルームに入らない方がいいと思うんだけど・・・」
リビングルームのドアーの方を向きながら祥子が、小さな声で言った。
「東京のお祖父さんと電話しているようよ!」
亨は祥子にウィンクをして、二階に直接上がろうとした。
「電話終わったら、わたしが呼ぶから・・・」
微笑ながら言った祥子が無性にかわいかった。
『・・・・・・・』
無言の想いが亨の胸の中を突き抜けた。
「コンコン!」
祥子がドアーをノックした。
「入っていいよ!」
亨は返事した。
部屋の中に入ってきた祥子の様子がおかしい。
「お母さんはまだ電話しているのかい?」
普段を装って話す亨の顔をじっと見ていた祥子が、急に泣き出した。
「お母さんが・・・・」
容子に何か起こったと思った亨が、部屋を出て階段を下りようとした時、階下で容子の話し声が聞こえた。
階段の途中で立ち止った亨の腕を、うしろから追い掛けてきた祥子が引っ張った。
祥子が顔で合図を送っているのだ。
「だけどお父さん、祥子の実の父親は・・・・」
下で容子が岳父と喋っているのを、亨も祥子も聞いた。
祥子が更に強く亨の腕を引っ張った。
すべてを察した亨は、祥子に従った。
『祥子のためだ!』
部屋に戻ったふたりは暫く黙っていた。
「お母さんは、一体何の話をしているんだい?」
弁護士の職業病である誘導尋問を祥子にしてみた。
祥子がどこまで真相を知っているか確かめるためだった。
「お父さん、聞いていなかったの?」
祥子の問いかけに亨は呆けた。
「いや、ただ声が聞こえただけで・・・」
祥子の表情は少し明るくなった。
「いや、何でもないの・・・」
『かわいそうに、この子は・・・・』
ふたりは、下から声が聞こえなくなるまでドアーを閉めて、亨の部屋で黙って向き合っているだけだった。