第百九話 古都の垢

自首した雄仁は、師団街道と竹田街道の間にある拘置所にいるらしい。
「その拘置所なら、ここから目と鼻の先じゃないかね?」
五郎が私服の刑事に言った。
「ええ、何でも一緒にいた女性が、北拘置所には、自分の兄がいるらしく、そこへ奴を入れると大変なことになると喚いたらしいのです・・・」
「二条城で平岡雄仁に殺された赤ん坊を連れていた女性のことかね?」
刑事も今回の事件の真相がまるで掴めない様子で、首を傾げていた。
「その女性も一緒に拘置所にいるのかね?」
五郎は何気なく訊いたつもりだったが、刑事の返事で仰天した。
「いえ、女性は被害者だったということで・・・」
刑事が続けようとしたが、五郎の姿はそこにはもうなかった。
「検事さん!・・・・」
十二帝陵の前にある駐車場に停めていた車に乗った五郎は、踏み切りを超えて、大岩街道に出た。
この辺りは、昔の街道の面影を深く残していて、道路の幅も狭くて曲がりくねっている。
滅多に使わない投光機を車の屋根に出した車は、サイレンを鳴らして一気に、大岩街道から、師団街道、そして竹田街道へと出て行った。
十二帝陵の駐車場からサイレンを鳴らして出て行った五郎に、私服の刑事も驚きを隠せず、まわりの制服警官たちに大声で怒鳴った。
「あとは任せるから、3人ほど俺について来い!」
パトロールカーに乗った刑事は、五郎の車を追い掛けるよう警官に指示したが、その理由は自分も理解できていなかった。
師団街道から竹田街道に出る途中、鴨川から分かれた琵琶湖疎水を超えたところで、龍谷大学が右側にあることに気づいた五郎は、平岡雄仁の調書を思い出した。
『たしか、源春雄という青年が龍谷大学の学生でいた筈だった・・・。平岡雄仁は大谷大学に編入して来る前は、東京大学の学生で、その時の教授も一緒に京都に移って来たと書いてあったが、あの教授の名前は橿原公威と言った筈だ・・・』
検事の記憶力は職業柄とは言え、恐るべきものである。
一度読んだだけの調書に書かれてある人の名前を正確に憶えている。
『伏見という場所は、平安の都以来因縁の深い地だ!』
五郎は思わずため息をついてしまった。
『とにかく平岡雄仁なる人物に直接会ってみなければならない・・・奴の前に・・・』
二条城事件が起きるまでは、平岡雄仁に個人的な興味は引かれた五郎だったが、小椋亨が弁護を引き受けた事件を意識的に避けてきた。
その結果、二条城事件を起こさせてしまったという後悔の念が強かっただけに、自分から率先して蓮沼検事正に願い出た。
『新たな事件が起きなければいいが・・・』
鴨川に掛かっている水鶏橋を渡ったら、拘置所が見えてきた。
焦る気持ちを押し殺して、サイレンを下ろし、静かに拘置所内の駐車場に入って行った。
「面会ですか?」
駐車場の警備員が五郎に訊ねた。
身元を明したくなかった五郎が答えた。
「ええ、そうです」
警備員は怪訝な表情に変わった。
「面会人の名前は?それを訊くのが義務ですから・・・」
「平岡雄仁です」
五郎は仕方なく答えた。
「何ですって!?」
警備員の表情が青くなった。
その時、うしろから例の刑事が乗ったパトロールカーが追いついてきた。
「森検事さん!大変です!」
刑事は窓から顔を出して、五郎に叫ぶように言った。
「平岡雄仁が・・・」
五郎は冷めた表情で言った。
「小椋弁護士の計らいで釈放されたのでしょう?」
豆鉄砲を打たれた鳩のような目をして刑事が言った。
「どうしてわかるんですか?」
五郎は思った。
『京都というところは、保守的であって革新的な町だ。それは過去の真実の歴史を知らなければ理解できない・・・』
日本の古都でありながら、日本で最初の革新派知事が誕生した町である。
長い間日本の中心であった都市であるのに、革命は常にこの町から起こる。
京都という町がなければ、薩摩がいても、長州がいても、土佐がいても、明治維新は為されていなかったであろう。
『京都でしか起こり得ない事件だ!』
五郎は、刑事たちの顔をしげしげと眺めながら思った。