第百八話 回想のスケール

再び、大事件が起きた。
伏見の坊町で、抗争事件が起きたのだが、平岡雄仁が絡んでいるという情報が五郎の耳に入った。
何の変哲もない住宅地で、暴力団同士が銃や日本刀を振り回しての暴力沙汰があったらしい。
「坊町と言えば、深草北陵のある所だが・・・」
五郎は、報告をする書記官に訊いたが、五郎の言っている意味がわからないらしい。
「深草北陵というのは、室町時代末期から戦国時代そして徳川時代初期にかけての12代にわたる天皇が葬られている十把一絡げの御陵のことだよ」
頭の上で?マークが無数に踊っている書記官がバツ悪そうに言った。
「それなら十二把一絡げではないでしょうか・・・」
五郎は苦笑しながら言った。
「わかった、もういいよ」
五郎は「歴代天皇百人像」という本を本棚から引き出し、深草北陵の頁を開けてみた。
深草御陵は、正式には深草北陵と言い、歴代十二人の天皇が葬られている。
第89代・後深草天皇、第92代・伏見天皇、第93代・後伏見天皇、北朝第4代・後光厳天皇、北朝第5代・後円融天皇、第100代・後小松天皇、第101代・称光天皇、第103代・後土御門天皇、第104代・御柏原天皇、第105代・後奈良天皇、第106代・正親町天皇、そして第107代・後陽成天皇である。
後宇多天皇の跡を継いだ第二皇子尊冶(たかはる)こと、後醍醐天皇の時世に南北朝に分裂して以来の北朝方の天皇である。
室町幕府三代将軍・足利義満の仲介で以って南北朝に分かれての57年の争いに終止符が打たれた。
いわゆる明徳三年(1392年)の明徳和約である。
このとき、
一つ、(南朝の)後亀山天皇は、(北朝の)後小松天皇に三種の神器を渡す。二つ、今後の皇位は、南朝(大覚寺統)と北朝(持明院統)とが交互に継承する。所謂(両統迭立)。
三つ、諸国の国領は南朝側。長講堂領は北朝側が支配する。
しかし、足利義満は、この約定を悉く破り、その後の皇位継承は北朝方一辺倒で進められ、今上天皇まで至っている。
しかし不思議なことがある。
北朝方と考えられている明治天皇の時世に、南朝方に与した楠木正成の銅像が皇居前に建立されている。
更に、織田信長が天下布武を果たす途中で頓挫した、明智光秀の本能寺の変が起こった時世の第106代・正親町天皇、そしてその孫である第107代・後陽成天皇で以って、十二把一絡げの深草北陵の主人は終わり、第108代後水尾天皇は、徳川三代将軍家光によって仙洞御所を与えられた。
『平岡雄仁(おひと)は、北朝第5代・つまり第99代後円融天皇の諱(いみな)である緒仁(おひと)ではないか!』
五郎は慄然とした。
『600年を超えた魂の叫びが、いま再び起きたのではないだろうか?』
32年前のことを回想する己の卑小さを、つくづく感じるのであった。
五郎は伏見深草にある坊町に行ってみることにした。
伏見から奈良に抜ける旧街道に入ると、すぐ斜めに古い田舎道が分かれる。
その分岐点のところに、石でつくられた小さな標識がある。
第54代仁明(にんみょう)天皇陵と第59代宇多天皇陵の標識である。
迷っていると、サイレンを鳴らしながらパトロールカーが、五郎の車の横を通り過ぎて行った。
『事件の現場に行くらしい・・・』
五郎は、田舎道を進んだ。
曲がりくねり、上がっては下がる、丘陵の田舎道が続く。
すると突然、新興住宅地が見えてきた。
二条城の事件の時と同じで、閑静な住宅地が、野次馬たちのお陰で喧騒の坩堝と化していた。
死体は既に運び去られていたが、いまだ舗装されていない地道の黒い土に混ざって一層どす黒くなった血痕が、辺り構わず散り、事件の壮絶さを髣髴させるに十分なほどの迫力だった。
「ああ、森検事さん!」
私服の刑事が五郎を見つけた。
「えらい事件ですわ!」
ため息をつきながら、その刑事は五郎のところへやって来た。
「この辺りを拠点にしている暴力団の抗争事件だと思っていたのですが、どうやら違うようです・・・」
「違うと言うと?」
初夏の日差しで汗を掻いている刑事は、摺り切れた手拭で剥げ上がった額を拭きながら、話を続けた。
「辛うじて助かった若いチンピラがいて、錯乱状態に陥っているんですが、その中で、『悪魔だ!』と言い続けるばかりですわ・・」
刑事は興奮しきった様子で喋っていた。
「ところで、平岡雄仁はどうしたのかね?」
五郎は核心に迫ったつもりでいたが、刑事からの返事はまったく期待はずれのものだった。
「ああ、検事さん。平岡雄仁は自首したそうですよ・・・」
五郎は内心愕然とした。