第百一話 収束の日

つま楊枝一本が、人の人生を変えてしまうこともある。
気がついた雄仁の視線に先ず入ったのは、冷たい鉄格子のモザイク模様であった。
モザイク模様の周辺に、薄青色のぼんやりした光が雄仁の背中から差し込んでくるようだった。
気がついた雄仁が先ず耳にしたのは、赤ん坊の泣き声だった。
「お兄ちゃん、義幹(よしもと)よ!」
郁子が、人目を忍んで囁くように言う。
雄仁は郁子の声で我に帰った。
しかし雄仁の目の前には、やはり冷たい鉄格子しか見えなかった。
斜め左の鉄格子に遮られながら、郁子の顔が見えたのだが、雰囲気が少し違うのに気がつかないまま、彼女に声を掛けようとした。
「義幹(よしもと)って、俺の子なのか?郁子!」
鉄格子の陰に隠れて姿が見えないのだが、雄仁と同じ側にもうひとり誰かいるらしい。
『聞いたことのある声だ!』
一瞬、雄仁は思った。
『まさか!』
「そうよ、お兄ちゃんが桜ちゃんに生ませた子よ。お兄ちゃんの希望で、義幹(よしもと)という名前にしたのよ」
声の主は、南野たけしだった。
ところが、郁子はたけしのことを、「お兄ちゃん」と呼んでいる。
複雑な気持ちでいると、鉄格子のドアーが開く音がして、弱々しい靴音が近づいて来た。
「平岡雄仁。お前に面会人だ!」
面会人を、四方が鉄格子で囲まれた部屋に案内して来た所員が気難しそうな声を発しながら不愛想に言った。
『まったく憶えのない顔だ!』
どうやら自分の面会人らしい、年の頃なら50過ぎの男性が緊張した面持ちで入ってきた。
少しづつ状況が掴めてきた雄仁は、何処か違う宇宙に辿り着いたような錯覚に陥っていた。
懐かしい顔をした郁子が、聞いたことのある陰に隠れた人間と兄妹の関係らしいが、自分とは赤の他人らしい。
まったく憶えのない50過ぎの男性が、自分に対する面会人らしい。
人間が織り成す精神模様のジグソーパズルがものすごい速度で回転しているようだった。
『ここはひとつ、様子を見てみる必要がありそうだ』
「平岡雄仁さんですか?」
面会人は雄仁に面会を申し入れた理由を話だした。
どうやら雄仁の弁護士のようである。
およそ予想はついたが、念のために弁護士に訊いてみた。
「隣にいる女性は、僕と関係はないのですか?」
怪訝な表情で雄仁の顔を見ていた弁護士だったが、気を取り直して、無理やり明るい表情に変えて雄仁に言った。
「あの人は、兄の面会に来た藤原郁子さんという方です。服役中の藤原たけしは、殺人で終身刑を言い渡されたのです」
現実と夢の世界が、まだ混在している雄仁には、理解に苦しむ弁護士の話だったが、肯いてみせた。
「ところで・・・」
事務的に処理したいのか、その弁護士は用件に入りたい様子で口を開きかけた。
「あなたは、精神科検定の結果、不起訴処分になりました」
突然の、今までに会ったこともない男がやって来て、弁護士だと言い、無罪放免だと言う。
『自分は一体どんな罪を犯したというのだろうか?』
弁護士と名乗る男に、問い質したかったが、その返事に恐れを抱いて口を開くこともできなかった。
弁護士の方も、職業柄敢えて犯した罪を繰り返し言う無粋なことはしなかった。
そのことが、雄仁の第二の人生を大きく変えるとは、本人も弁護士も予想するべくもなかったし、ましてや鉄格子の面会室の隣で、兄のたけしと会っていた郁子にとっては・・・・。