第九章 宗教・科学のない貧乏社会

我々現代人は、差別・不条理・戦争の一切ない貧乏社会を目差すしか道はない。
つまり、
(2)唯一残った人類が共食い(差別・不条理・戦争)を起こすことによって、人類も破滅する可能性。
(3)核戦争勃発によって、生命体の存在し得ない地球になる可能性。
は絶対に避けなければならない。
そこで、
生命体の存在し得る地球が、如何にユニークな星であるかということを、理解しなければなりません。
つまり、
生命体が存在し得る星になる条件が要ります。
先ず、
(有機)生命体が存在し得る最大の条件が、水が存在する星かどうかに掛かっています。
言い換えれば、
海が存在し得る星かどうかに掛かっています。
なぜならば、
海が存在すれば、大気が存在し得るからです。
つまり、
酸素(O2と炭酸ガス(CO2が存在し得るからです。
まさに、
有機生命体とは、酸素(O2)と炭酸ガス(CO2)が循環することによって、生命が維持されるからです。
言い換えれば、
自然の食物連鎖の法則とは、酸素(O2)と炭酸ガス(CO2)の循環システムに他ならないわけです。
平たく言えば、
植物は、炭酸ガス(CO2)を食べて、酸素(O2)を排泄する。
一方、
動物は、酸素(O2)を食べて、炭酸ガス(CO2)を排泄する。
まさに、
鉱物と植物と動物との間の自然の食物連鎖に他ならない。
では、
水(海)の存在し得る星になるには、一体どんな条件が要るのでしょうか。
そこで、
他の惑星にも、嘗ては、海が存在していたことがわかっています。
つまり、
他の惑星にも、嘗ては、水が存在していたことがわかっています。
つまり、
いつか何らかの理由で、他の惑星の水(海)が消滅したことを示唆しているわけです。
従って、
我々の地球も、いつか何らかの理由で水(海)が消滅する可能性があるわけです。
つまり、
いつか何らかの理由で、我々の地球も他の惑星と同じように、生命体が存在し得ない惑星になるわけです。
では、
いつか何らかの理由とは一体何でしょうか?
まさに、
地球の重力に変化が生じた時に他なりません。
逆に言えば、
我々の地球に水(海)が存在し得ているためには、実に微妙な重力のバランスが必要なわけです。
平たく言えば、
我々地球の重力のバランスが少しでも変化すれば、海の水は地球の中心に吸い込まれるか、大気に吸い上げられるかして、水(海)が消滅してしまうわけです。
従って、
我々の地球に、生命体が存在し得るためには、地球の重力のバランスを常に一定に保っていなければならないわけです。
まさに、
自然(地球)の食物連鎖の法則とは、地球の重力のバランスを常に一定に保つ方策に他ならなかったのです。
従って、
自然(地球)の食物連鎖の法則を破られることが起きれば、地球の重力のバランスも壊れて、水(海)が消滅してしまうことになります。
まさに、
自然(地球)の食物連鎖の法則が破られるということは、地球上から生命体が消滅する証左に他ならないのです。
そうしますと、
自然(地球)の食物連鎖の法則とは、
酸素(O2)と炭酸ガス(CO2)の循環システムに他ならない。
更に、
自然(地球)の食物連鎖の法則とは、
地球の重力のバランスを常に一定に保つ方策に他ならない。
つまり、
酸素(O2)と炭酸ガス(CO2)の循環システムとは、
地球の重力のバランスを常に一定に保つ方策に他ならない。
これは一体何を示唆しているのでしょうか?
宇宙というマクロ世界の誕生劇を理解しなければなりません。
つまり、
我々地球のような惑星と、その産みの親である恒星との違いを理解しなければなりません。
そこで、
恒星とは、自ら光を発する星のことです。
一方、
惑星とは、自ら光を発しない星のことです。
これは一体何を意味しているのでしょうか?
つまり、
自ら光を発する恒星とは、電子が安定した軽い元素で構成されているから、正物質と反物質との対消滅によって発した光が直進することによって、光を発することができるのです。
一方、
自ら光を発しない惑星とは、電子が安定せず自由に動く重い元素で構成されているから、光が電子によって遮断され、光を発することができないのです。
そして、
電子が安定せず自由に動く重い元素の代表が酸素であり炭素であるわけです。
まさに、
有機物質とは、炭素を含む物質であるとする所以がここにあります。
従って、
惑星とは、電子が安定せず自由に動く重い元素の代表である酸素や炭素で構成されている星に他ならないのです。
言い換えれば、
惑星とは、酸素(O2)と炭酸ガス(CO2)の循環システムによって、重力のバランスを常に一定に保つようにできている星に他ならないのです。
そこで、
我々の地球に水(海)が存在し得ているためには、実に微妙な重力のバランスが必要である。
平たく言えば、
我々地球の重力のバランスが少しでも変化すれば、海の水は地球の中心に吸い込まれるか、大気に吸い上げられるかして、水(海)が消滅してしまう。
言い換えれば、
液体の状態である水が、気体の状態に変わる。
つまり、
相転移現象が起こることに他ならないわけです。
結局の処、
地球という惑星が、生命体の存在し得ない状態に変わることも、単なる相転移現象に他ならないのです。
まさに、
マクロ世界の宇宙が、生まれ、生き、死んでいくのが、単なる相転移現象に他ならないのと同じです。
まさに、
ミクロ世界の素粒子が、生まれ、生き、死んでいくのが、単なる相転移現象に他ならないのと同じです。
まさに、
ミディアム世界の人間が、生まれ、生き、死んでいくのも、単なる相転移現象に他ならないのと同じです。
それでは、
マクロ世界の宇宙でも、
ミクロ世界の素粒子でも、
ミディアム世界の人間でも、
生まれ、生き、死んでいくという相転移現象が起こるのは、一体どういう状態においてでしょうか?
そこで、
物理学上では、
相転移現象は、温度の変化によって起こります。
たとえば、
宇宙が進化(変化)してきた歴史は、温度の変化の歴史に他ならない。
素粒子が進化(変化)してきた歴史は、温度の変化の歴史に他ならない。
従って、
人間が進化(変化)してきた歴史も、温度の変化の歴史に他ならない。
たとえば、
地球温暖化現象も、温度の変化の歴史の一ページに他ならないのです。
従って、
二十一世紀という時代は、
人間社会の歴史においても、
自然社会の歴史においても、
宇宙の一員としての地球の歴史においても、
進化(変化)の時期に直面にしているわけです。
言い換えれば、
二十一世紀という時代は、
人間社会の歴史においても、
自然社会の歴史においても、
宇宙の一員としての地球の歴史においても、
相転移現象が起こる時期に直面しているわけです。
では、
地球温暖化現象とは一体何を示唆しているのでしょうか?
人間社会の歴史の一ページとして、
二酸化炭素(CO2)、つまり、炭酸ガス(CO2)の過剰排泄が問題になっています。
そして、
自然社会の歴史の一ページとして、
二酸化炭素(CO2)の過剰排泄によって、地球の大気温度が上昇し、その結果、いろいろな動物が絶滅の危機に瀕しているわけです。
たとえば、
北極地方の温度の上昇によって、冬になっても氷が張らないことによって、アザラシのような動物を餌としている北極グマ(白クマ)が絶滅の危機に瀕している。
まさに、
自然の食物連鎖の法則とは、酸素(O2)と炭酸ガス(CO2)の循環システムに他ならないことを証明している。
平たく言えば、
植物は、炭酸ガス(CO2)を食べて、酸素(O2)を排泄する。
一方、
動物は、酸素(O2)を食べて、炭酸ガス(CO2)を排泄する。
まさに、
鉱物と植物と動物との間の自然の食物連鎖に他ならないわけです。
そうしますと、
地球温暖化という温度の変化は、
人間社会の歴史においても、
自然社会の歴史において、
宇宙の一員としての地球の歴史においても、
進化(変化)の時期に直面にしていることを象徴しているのです。
言い換えると、
地球温暖化という温度の変化は、
単なる、
人間社会の歴史においても、
自然社会の歴史において、
宇宙の一員としての地球の歴史においても、
相転移現象が起こる時期に直面していることを象徴しているのです。
まさに、
二十一世紀とは、
マクロ世界の宇宙でも、
ミクロ世界の素粒子でも、
ミディアム世界の人間でも、
相転移現象が起こる時期に直面しているわけです。
そうしますと、
マクロ世界の宇宙でも、相転移現象(誕生・生・死)という進化(変化)の歴史の一ページが起こる。
また、
ミクロ世界の素粒子でも、相転移現象(誕生・生・死)という進化(変化)の歴史の一ページが起こる。
そして、
ミディアム世界の人間でも、相転移現象(誕生・生・死)という進化(変化)の歴史の一ページが起こる。
まさに、
その時期が二十一世紀に他ならないわけです。
では、
マクロ世界の宇宙でも、
ミクロ世界の素粒子でも、
ミディアム世界の人間でも、
相転移現象(誕生・生・死)という進化(変化)が起こるとは一体どんなことなのでしょうか?
まさに、
(1)地球規模若しくは宇宙規模の自然大災害に見舞われ、人類の数(人口)が適正数(3億から4億)に強制的に戻される可能性。
(2)唯一残った人類が共食い(差別・不条理・戦争)を起こすことによって、人類も破滅する可能性。
(3)核戦争勃発によって、生命体の存在し得ない地球になる可能性。
こそが、二十一世紀に起こる相転移現象(誕生・生・死)の一ページかもしれません。
言い換えれば、
(1)地球規模若しくは宇宙規模の自然大災害に見舞われ、人類の数(人口)が適正数(3億から4億)に強制的に戻される可能性。
(2)唯一残った人類が共食い(差別・不条理・戦争)を起こすことによって、人類も破滅する可能性。
(3)核戦争勃発によって、生命体の存在し得ない地球になる可能性。
こそが、相転移現象(誕生・生・死)という円回帰運動の一ページかもしれません。
では、
誕生・生・死という円回帰運動のどの過程なのでしょうか?
言うまでもなく、
誕生→生→死→誕生→生→死・・・という円回帰運動の生→死→誕生の狭間の「死」の過程に他なりません。
まさに、
二十一世紀は、「死」の世紀に他なりません。
一方、
二十世紀までは、誕生→生→死の狭間の「生」の時代だった。
特に、
十六世紀から二十世紀までの近代社会は「生」の時代だった。
だから、
近代社会で人口が急増したのです。
そして、
近代社会で科学が隆盛したのです。
言い換えれば、
近代社会で宗教が隆盛したのです。
従って、
二十一世紀からの「死」の時代に、
人間社会が存続するには、
宗教と科学のない貧乏社会が登場するしか道はないのです。