(その四) 気の病

年金や健康保険が機能を果たせない事態に陥っています。
資金の杜撰な運用による年金基金の不足と、健康保険基金を食い物にする医者の激増がその原因ですが、カモにされているのが両方ともお年寄りです。
健康保険基金を殆ど食い潰しているのが高齢者であり、資金が足りなくなったからと言って、介護保険なる新しい手まで考える始末です。
目前に迫っている死の恐怖を煽って、大した病気でもないのに病院通いをし、毒薬をしこたま与えられ、更に新しい病気をつくるモルモットにされていることにも気づかないお年寄りは百害あって一利ない存在です。
人間の体というものは、生まれた時から病気を持って生きていく宿命を負っていることに気づくべきです。
“生きる”ということは“運動する”ということです。
“死ぬ”ということは“運動を停止する”ということです。
動いているものは必ず故障をするが、動きを停止することは絶対ありません。
動きが停止するということは死ぬということに外ならないからです。
従って、動いているものは必ず故障するが、また必ず故障が治るようにできているのです。
それが体の持つ自然治癒力です。
生きている限りは必ず病気になるが必ず治る。
治らない病気なら、それは死ぬということ。
死なない限りは、病気は必ず治るのです。
自分の死期さえ把握しておけば、病気などまったく怖くないのです。
“先行き短い人生だから、死は怖くない!”と嘯くお年寄りに限って、せっせと病院通いをする。
死が怖くないのなら、病院など行く必要はまったくない。
結局の処、自分の死期を知らないどころか、自分の死期を知りたくないわけで、知るのが怖いのです。
死ぬのが怖いから、生きているのが辛いのです。
死ぬのが怖くなくなったら、生きているのが楽しくなるのです。
いいですか!
寿命があれば、病気は必ず勝手に治る。
寿命が尽きれば、病気は絶対治らない。
医者など無用の長物です。
病気は発病を以て病気であり、発病もしていないのに検査するなど、愚の骨頂です。
死期を知るのが怖いようなお年寄りは何の価値もない。
いい加減に・・・してもらいたいものです。