(その十九) 濡れ落ち葉になる理由

猛烈社員の人生を送ってきた世代は、趣味と仕事を同じだと考えている節があります。
仕事を趣味だと考えている人間は、仕事を天職だと考えている節があります。
天職=仕事=趣味と考えて生きてきたのです。
挙げ句の果てにリストラに遭い、失意のうちに濡れ落ち葉になり、女房からもリストラに遭う。
天職とは死ぬまで続けられるものです。
つまり、命を使い続けることができるものです。
天職=ライフワーク=使命です。
使命を発見できないお年寄りは、いい加減に・・・してもらいたいものです。

「気前よくなれ!粋な老人」の(その十九)を以下紹介しておきます。

(その十九) 趣味と天職

(その十八)でお話しましたように、趣味というものには、他人(ひと)を喜ばすエネルギーがまったくありません。
わたしは、人間の本当の価値というのを、この世的成功を収めた人には、気の毒ながら持ち合わせていない方がすべてだと思います。
すべてだと断言すると、またこの前の有名進学校の話をして、反論をして来られた方みたいな人たちが又わたし宛抗議、反論をして来られるでしょう。(すみません、あの件は、別の作品の中でした)
どうも、そういう方々の特徴と言うのは、本質のところでは極めて唯物的発想の強い方なのですが、知識を非常に大事にされ(もちろん粗末にする阿呆よりはマシなんですが)、善人を装っている方が多い。それが高じて知識がすべてと錯覚されているのです。
こう言いますと、また反論されます。「いや、そんな風には思っていない。知識だけではダメで経験も必要だ」と言う風に。
しかし、ここで大事なことを忘れてはいけません。
ちょっと難しくなるかも知れませんから、よく慎重に聞いてください。
知識と経験は二律背反の関係にあります。
易しい表現を使うと、コインの裏表の関係にあります。
まだ難しい!うん!
両刃の剣。これならわかるでしょう。
よく洋画で、主人公が悪役相手に決闘するときに、大体悪役がするのですが、コインを放り投げて、「表か、裏か」とやります。
どちらも「表」とか「裏」とか言えないのです。
一方が「表」なら、他方が「裏」になるのです。
「俺は表だ」「俺も表だ」なんてやり合っていたら、それだけで映画は終わってしまいます。
だから主人公が「表」と言ったら、悪役は「それじゃ裏」とやるわけです。
そういった場面を見る度に、わたしは「これは、やらせだ!」と思うのです。
まあ、映画は、最初から「やらせ」に決まっているのですが、最近は、事実を伝える責任があるマスコミが「やらせ」だらけでは、「この世の中、真っ暗闇でござんす」(このせりふ、ちょっと古すぎたようです)。
わたしが悪役なら、主人公が「表」と言ったら、わたしも「表」と絶対に言い張ります。
しかし、それでは前に進みません。
わかりましたか?
要するに、知識を取れば経験は取れない。経験を取れば知識を取れない。
コインを半分に割ることは出来ないのですから、知識半分、経験半分を交互に繰り返すしか方法はないのです。
それを、抗議したり、反論したりする人は、経験することから逃げてきた人たちで、これからも逃げ続けるでしょう。
そういう人は、他人(ひと)を喜ばす能力が無いのです。自分だけを喜ばすことしか考えていないのです。
自分だけを喜ばすことをすることを趣味と言うのです。
他人(ひと)をも喜ばすことをすることを天職と言うのです。
ゴルフなどやって、どうやって人を喜ばすことが出来るのですか?
野球やサッカーを見ていて、どうして人を喜ばすことが出来るのですか?
ただ見ているだけです。見て喜んでいる人をマスター屋と呼びます。
見せている人は、それでお金や、サポーターをハメテ貰って、いい気持ちでしょう。
だからプロと言うのです。プロは商売です。商売女と同じです(言い過ぎました。すみません)。
そんな暇があったら、好きな人とセックスをしている方がどれだけ相手を喜ばせるか、考えただけでわかります。
何もセックスすることが天職と言っているのではありません。誤解しないでください。
自分も喜び、他人(ひと)も喜ばせることをすることです。
それが趣味と天職の違いです。