(その十五) 人類の歴史

臆病とは本来モノ持ちに起こる現象です。
モノを失うことの恐怖が臆病の正体なのです。
どんな人間でも、裸一貫で生まれてきて、裸一貫で死んで逝く。
ところが人間社会だけにモノ持ちとモノ持ちでない二層構造ができた。
狩猟社会がゲマイン・シャフト(共同社会)であるのに対して、農耕社会がゲゼルシャフト(利益社会)だと言われる所以です。
熱心なセミナーメンバーの方に教えて頂いたのですが、今から29万年前頃、つまり、原人と旧人が混在していた頃の人類の数は100万人程度だった。
知力の差で旧人が生き残り、更に新人が生き残った1万年前の頃でも、人類の数はまだ500万人程度しか増えていなかった。
28万年間で100万人から500万人になっただけでした。
ところが1万年前から6千年前の間の4千年間で500万人が8700万人に激増したと言うのです。
この1万年前から6千年前の間に狩猟社会から農耕社会に変化したらしい。
つまり、モノ持ちとモノ持ちでない二層構造が生まれた。
しかし、モノ持ちもやがては裸一貫で死んで逝かなければならない。
そこで考え出されたのが、世襲・相続の概念と輪廻転生の概念です。
世襲・相続の概念はモノ持ちの為に考え出されたものです。
輪廻転生の概念はモノ持ちでないものの為に考え出されたものです。
歳を重ねていくと死が近づいて、裸一貫で死んで逝くのが怖くなるようです。
そんなお年寄りがおろかな人間社会をつくってきたのです。
いい加減に・・・してもらいたいものです。

「気前よくなれ!粋な老人」の(その十五)を以下紹介しておきます。

(その十五) 生まれ変わりなどない

今日は、博打に負けて機嫌が悪いので、徹底的に唯物論者になりきります。
人間の心なんてころころ変わるものです。だからこころと言うんです。
人間は何度も死んでは、また生まれ変わる?
冗談はよして下さい。
そして生まれ変わる度に,魂が向上していく?
よく言ってくれますね。
誰が、そんなことを見たことがあるんですか?
あったら見せて頂きたいものです。
唯物論者というのは、目に見えないものは絶対に信じない者のことを言います。
そしたら、殺人を犯したり、人のものを盗んだり(最近はこそ泥よりも、教祖や大臣や、なんかよく知りませんが、次官と言うのですか、わからん言葉ですが、次官なのに一番偉いらしい)する奴は、そんなことをする為に生まれ変わって来たのですか?
本当によく分からない世の中になってしまいました。
東京に首都を置くから、こんなややこしいことになるんです。
そう言えば、東京の山の手線乗ったことありますか。
プラットホームのところに「次の電車は・・行きです」「今度の電車は・・・駅を出ました」とか電光掲示板で書いてあるでしょう。
ややこしいですね。
「次」と「今度」はどちらが先に来るのでしょうか、わたしにはさっぱり分かりません。
東京の方は分かっているのでしょうか。
もし生まれ変わるなら、次は何に生まれ変わるのでしょうか。それとも今度は何に生まれ変わるのでしょうか。
どうやら、輪廻転生の概念(こんな格好いい言葉は、今日は使う気が起こりません)、元へ、考え方は東京で誕生したのではないでしょうか。
実は、インドで生まれた考えのようですが、結局、世界中で輪廻転生はあるとみんな考えさせられているようです。
これは、差別のテクニックなのです。
インドではカースト制度というのがあって、生まれた時から身分が決まっていて、奴隷は一生奴隷で終わります。スードラと言うそうです。
一番上はバラモンと言って僧侶です。そしてその次にクシャトリア、日本で言う武士です。その後にバイシャ(平民)そしてスードラです。
この世では、いくら努力しても階級は上がれない。だから生まれ変わって来た時に、その上の階級で生まれ変わるために、この世を努力せよと教えているのです。
人を馬鹿にするのも甚だしいと思いませんか。
この世で努力したことは、この世で報いてあげるのが道理だと、もしわたしが神さんなら絶対にそうします。
結局、この世でいい目をしている連中が、己の利益を守るために、こんなふざけた考えをつくったとしか思えません。
日本も昔から、同じような慣習があります。
仮にあの世があって神さんがいたら、こんなふざけた連中こそスードラにしてやるべきです。
そうしたら、この日本はスードラだらけになって、輪廻転生どころではなくなるのではないかと思います。
スードラが多すぎて、輪廻する間もない混雑状態になってしまうでしょう。
人生一回、思い切り生きて、思い切り頑張って、思い切り楽しむ。
これっきり、これっきり、これっきりいですね。