(その一) もはや人生はない!

ピーター・ドラッカー氏は、その著作「ネクスト・ソサエティー」で言っています。
「人生50年の時代なら、定年後の人生は余りの人生でよかったが、人生80年の時代になった現代では、定年後の第二の人生が待ちうけている。
第二の人生の旅に迷うことなく船出するには、第一の人生のかなり早い時期、つまり20代後半から、第二の人生を同時進行しておかなければならないだろう」
ところが戦後の復興に躍起になっていたわが国は、「日本株式会社」という政官財癒着の護送船団で船出したために、「猛烈社員」という新語が生まれたほど、会社を運命共同体と信じ込み、自己の第二の人生はおろか、自らの家庭をも顧みない会社員人生を送るのが常識の社会になってしまった。
団塊の世代が社会人になり始めた1970年という年には、「大阪万国博覧会」が開催され、まさに、高度経済成長の真只中の時代であり、彼らは否応なしに「猛烈社員」になっていったのです。
「猛烈社員」に第二の人生を考える暇も余裕もありません。
経済の国際化が進み、競争の激しくなった企業は、リストラという手段を取る。
経営能力の欠落を棚にあげてのリストラは大きな犠牲を生む。
リストラという名の下に選択定年という体のよい肩叩きの対象になっているのが、「猛烈社員」の申し子である団塊の世代なのです。
第二の人生など思いもつかずに、ただ「猛烈社員」で生きてきた団塊の世代と、彼らを食い物にして「ごま摺り」だけでこの世的成功を収めてきた、「特攻隊」から外れた低劣な「狭間世代」が、現代高齢化社会の主人公なのですから、重度の糞詰まりの便秘症に陥るのは当然です。
彼らにはもはや第二の人生などないのですから・・・
いい加減に・・・してもらいたいものです。