第四章 足名槌と手名槌

クシの正式名は足名槌と言い、出羽の国の蝦夷族が坂田村から、今の埼玉県大宮、当時は氷川と言われた地にしばらく落ち着き、その後、越の国から、丹後を経由して出雲最大の川の傍に居を構えたのが、クシの父・大山祗(オオヤマツミ)であった。その時、大山祗は出雲最大のこの川を氷川に因んで簸川(ひかわ)と命名した。現在の斐伊川であり、木次の守屋というところであった。
この木次の守屋が、フツシとヤマタのオロチの最後の決戦の場となった所である。
そして、クシの妻は手名槌と言い、やはり、同じ蝦夷族出身でトヨと呼ばれていた。
槌は、出雲の山地から産出した鉄で作られた今でいう釘の一種で、大きな木作りの家屋の建築に欠かせないもの。
足(アシ)という名の槌から足名槌、手(テ)という名の槌から手名槌とつけられたが、今でいう宮大工の技術を持った蝦夷一族で、縄文建築が大きな柱を使っての大型建築を得意とした所以である。
アシがいつしかクシになり、テがいつしかトヨとなって呼ばれるようになった。
出雲の地が西日本にありながら、縄文文化の中心地だった出羽や陸奥と深い関係ができたのも結局、出雲の山地に鉄鉱石が大量に産出したからである。
唐、元、明という中華の国、半島の高句麗、高麗、そして出羽、陸奥の蝦夷一族の縄文・狩猟民族に多大な影響を与えたのが出雲の鉄であったことは、現在の先進国と産油国との関係に酷似している。
古代の頃から、人間社会のメカニズムはあまり変わっていない。
ヤマタのオロチが出雲を統治していたが、クシに一目置いていたのも、彼の持つ鉄技術を重視していたからである。
しかし、ズガ以外のオロチ兄弟は、それよりも酒と女に気を奪われ、ついにはトヨやイナダにまで触手を伸ばそうとしてクシに危機感を持たせ、フツ親子との同盟関係をつくらせたのである。
欲望が渦巻く人間社会は今も昔もなんら変わらない。
そういった時代の中で一点の光明となる人材が輩出されることで、現代まで絶滅せずに生き残れた人類でもあった。
フツシやズガがその人材であったが、ここにも自然の法則の妙が働いている。
薄暗い、じめじめした、愚かな大衆が大半を占める人間社会に、一点の光明が必要に応じて差し込まれる。
どうやら、人間社会のメカニズムは愚かな大衆が為した罪を、一握りの光明を得た救世主が、身代わりになって罰を受けることで、贖うようになっているようだ。
天照の岩戸隠れ伝説にある須佐之男の悪名、ヤマタのオロチの悪名の中に隠れたズガの光明。
その頃、西アジアにも一点の光明を照らす人材が輩出したが、愚かな大衆が血祭りにあげ十字架に架けた。彼は大衆の罪を一身に受け、十字架という苛烈な罰で大衆の罪を贖った。しかし彼は復活して、大衆は滅亡の淵に追われ、2千年の放浪の民に陥る羽目になった。
この世の矛盾は、あの世への裏返しが真理である。
だが、あの世の地獄へ通じる道であることを知らずに、凡人はこの世の成功をどこまでも追い続ける。
やはり凡人が愚かな大衆を構成し、結局あの世の地獄のみならず、この世の地獄をも生む種である。
クシとトヨはイナダ姫をフツシの妻にすることを心に決めていた。
ヤマタのオロチとフツシの関係は、ますます険悪なものへと発展していく一方で、ズガとの友情も大きく育まれていく。