第三章 ウナギの蒲焼き

ある日、ズガがクシの家に突然訪れた。
「フツシはおるかのう、クシよ?」とズガは優しい声でクシに言った。
オロチ一族が、わざわざやって来るのははじめてのことで、クシは何事かと思った。
「いいえ、出かけております。何かフツシにご用でも?」
「うん、この前の件で、わしはフツシが気に入った・・・」ズガの言葉に我が耳を疑うような想いのクシにズガが更に言う。
「わしは、あのフツシにいつか我がヤマタのオロチが成敗されるような気がしてならない。それはそうであろう。あれだけの悪行のやり放題では、いくらわしの持っている天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)でも錆びついてしまうであろう。父の李生成から相続の印と賜った聖なる剣であるが、使わなければ駄目になってしまう・・・」といつもの雄々しさがない。
「そんな!フツシがオロチさまを成敗するなんて。とんでもない!」とクシは言いながらも内心、ズガの勘の鋭さに感心した。
「そんなに、心にもないことを言わなくともよい。わしの剣とフツシの持っている剣が呼び合っておる。フツシの持っている剣は何という?」と訊かれ、クシはフツの話を出すわけにいかず、知らないと答えた。
「十束の剣と申します」とフツシの声が聞こえた。
ふたりは、驚いて声のする方を向くと、そこにフツシが立っていた。
「帰ってきたのです・・・か?」クシの震えた声をズガは聞き逃さなかったが、知らぬふりして笑った。
フツシもズガの様子で、何かを感じたと思ったが静かに言う。
「ええ、イナダ姫と一緒に宍道湖に行っておりました」
そしてズガの様子を伺ったが、表情に変化はなかった。
「わしは、他のオロチたちと違って、女の名前を聞くだけで心が動くようなことはない。どうだ、心が動いているように見えたか?」とフツシに尋ねる。
「いいえ、まったくございません」フツシも正直に答えた。
ふたりは顔を合わせて、お互いに笑う。
「恐ろしい大蛇(オロチ)でも全身臭いところばかりではない・・・」と意味ありげな言葉を吐いたズガの表情を見たフツシは、『この男だけは他のオロチとは違う・・・』と思った。
「酒でもいかがでしょうか?」とクシが間に入った。
頷きながら、お互いに顔を見合っているふたりの姿にクシは妙な想いになる。
ふたりに白い杯を渡し、濁り酒を注いでいたクシは、つい本音を言ってしまった。
「兄弟の約束の杯みたいですな!」
言った後、『しまった!』という表情のクシを無視してズガはフツシに言った。
「兄弟の杯とは縁起がいい。フツシはいくつになったか?」
「はい十八でございます」と答えるフツシに、「わしは二十だから兄になるのう!」と言って笑う。
敵同士になる筈のふたりの間に友情が芽生えた瞬間だった。
「前にも言ったであろう、いつかお前と雌雄を決する日が来ると。そのときは思いきり戦おうぞ!」と言い、もの悲しいズガの表情を、フツシは一生忘れぬことになる。
ズガが帰っていった後、その光景を陰から見ていたフツが入ってきてふたりに言った。
「よいか、フツシよ。ズガという男は他のオロチと確かに違う。だがヤマタのオロチは八つで一つじゃ。ヤマタのオロチはお前の母の仇敵じゃ。それを忘れるでないぞ!」
「それは、重々承知しております」と言ったフツシの内心は複雑な想いだった。
『この世は、ままにならぬものだ・・・』と思いながら、ズガのことに想いを馳せ、一首詠った。

「須佐の草 燃ゆる叢雲 八雲月」

ズガも館に帰って来て、兄たちから様子がおかしいと言われたが、今日あったことを何も言わずに、
『この世は、ままにならぬものだ・・・』と月を眺めて一首詠った。

「初知らす おろちのおもい 八重の月」

フツシがその後、須佐の男と呼ばれ、また八坂や八重や八雲とも呼ばれるようになったのは、このふたりの仇敵の間に友情が芽生えたときからだった。
ヤマタ(八岐)のズガ(須賀)と八坂のスサ(須佐)を祀る須賀神社が、この出雲に建てられたのは、来る運命の日の直後であった。

クシの正式名は足名槌(アシナヅチ)といい、出雲が高句麗に統治される前から稲田村に居を構えていた。
妻の手名槌(テナヅチ)との間に生まれた姫を稲田からとってイナダ姫と名づけた。
縄文の昔からの土着の民で、出羽の国の坂田村から越の国を経て出雲まで辿りついた、蝦夷の一族の末裔である。
体格は、扶余一族とは対象的に背丈は低く、肌は白い。
当時の美人の典型的体躯であり、その中でもイナダ姫は群を抜いていた。
ヤマタのオロチ兄弟は彼女を虎視淡々と狙っていたが、何とイナダ姫の母であり、クシの妻であるテナヅチまで手をつけようとする始末にズガも閉口していた。
母娘揃ってオロチの餌食になった一家は掃いて捨てるほどいて、その対象はみんな出羽や陸奥の蝦夷人だった。
フツシが出雲にやってくるまでは、大海祗(オオアマツミ)という若者の許嫁になっていたイナダだが、イナダが十六才でオオアマツミが十八才だった2年前に、オロチの長子であるイガがイナダに夜這いをかけ、オオアマツミに阻止された腹いせに、切り刻んで殺してしまった。
それ以来、イガは機会あればイナダを我がものにせんと狙っている。
ところが、フツシが半島からやって来て、オロチ兄弟に挨拶に行ったとき、イガをいとも簡単にやっつけた。
イナダは、それを聞いて以来、フツシに想いを寄せるようになった。
クシの嘘の方便が真実になってしまった。
フツシもイナダの美しさに一目惚れした。
それ以来、ふたりはよく宍道湖に遊びに出た。ズガがやって来たときもふたりで宍道湖に遊びに行っていた。そして、帰ると、ズガの姿を見て、イナダは隠れていたが、ズガはイガとはまったく違っていた。
フツシからズガのことを聞いたイナダは、オロチ兄弟でもイガとズガのあまりの違いに驚いた。
オオアマツミがイガに切り殺されたときは、ズガはまだ十七才でイガは二十六才だった。相続権はズガにあったが、まだ十六才のズガにはイガを抑える力がなかった。
ズガはそのことを悔やんでいた。
フツシがイナダの許嫁と知ったとき、同じ過ちを起こさせまいと、クシの家にフツシを訪ねたのだ。
そのことを知ったフツシはますますズガに親しみと尊敬の念を強めて行く。
イガはフツシがオオアマツミのようにいかなかったのを根に持って、復讐を誓っているらしいから気をつけるようにと、ズガから連絡を受けていた。
フツシとイガの二度目の対決までは、それほどの月日は掛らなかった。
狡猾なエガの悪知恵を使って、フツシへの復讐を計画して、いよいよ実行を開始した。
エガは、ズガがフツシのことを気に入っていることを見抜いていた。
そこで、ズガの名でフツシを御室山(みむろやま)に呼びだした。
フツシはズガが御室山を気に入っていることを知っていたから、信じてひとりで山麓に向かった。
イガとエガが麓の大杉に隠れ、待ち伏せをしていたところへ、フツシがやって来る。
イナダはフツシがズガに呼びだされて御室山に行ったことを聞いて、罠だとすぐに悟った。オオアマツミも同じ罠にはまって殺されたからだ。
イナダはクシに、フツシを助けて欲しいと嘆願した。
「心配するでない!フツシさまは、そんなことで簡単に殺されるようなお方ではない。それより、オオアマツミの仇撃ちを見届けてまいれ!」とクシに言われ、イナダは御室山に向かった。
山麓へ向かう道で、笑いながらこっちへ向かって来たフツシに出会った。
「フツシさま。無事だったのですか?」というイナダに、フツシは微笑んで言った。
「あそこの大杉を見るがいい」とフツシが指差した方を、イナダが見ると、そこにふたりの大男がぶらさがっている。
「あれは?」と聞くイナダに、フツシは言った。
「オオアマツミの仇撃ちは、あの程度でよかろう。のうイナダ姫よ!」
「はい、十分でございます。それよりフツシさまが無事でおられたことが何よりも嬉しゅうございます」
イナダは顔を赤らめながら微笑んだ。
イガとエガは3日間、御室の山麓の大杉に吊るされ、「オロチの蒲焼き」と看板を立てられた。
オロチ兄弟は怒り心頭で、クシの館に襲撃をかけると息巻いた。
しかしズガが一喝して言った。
「何故、クシの館を襲うのだ、理由(わけ)を言え!」
「フツシの仕業だからだ!」とみんなで言う。
「誰がそう言ったのか?」ズガが訊くと、
「イガ本人が言っているではないか!」とヤガがいつもの調子で大きな声を出してわめいた。
「それでは、もう一匹の蒲焼きにされたエガはどうなのか?」とズガがエガに訊くと、エガは黙って答えない。
エガの態度にヤガは訳が分からなく、ヤガはエガに叫んだ。
「フツシがふたりを蒲焼きにしたのではないのか?」
エガは考え込んだ挙句、答えた。
「そうではない。イガとわしとで我慢比べをしただけだ!」
ヤガはあっけにとられて何も言えなかった。
「我慢比べにしては、自らオロチの蒲焼きの看板を立てるとは、なかなかの趣味だ」とフガは言って苦笑いした。
「それでは、一体誰がふたりを吊るしたのか?」とズガはエガに訊いたが、エガは黙っていた。
そしてみんなも黙ってしまった。
それ以来、御室山の大杉を「オロチの蒲焼き杉」と呼ぶようになった。
「イナダの仇杉」と呼ばれるもう一本の杉がその横に立っている。
由来は未詳となって誰が植えたのか、伝えられていない。