第九章 懐かしやエルボルズ

オーガスタで二週間ほど穏やかな日々を過ごしていた村木は、グラブチ夫妻に心の中で手を合わせていた。
ある夜中、目が醒めてトイレに行こうとしたら、階下のリビングルームで夫妻が話しをしていたのを偶然聞いてしまった。
「スーディー。デュークは何か心の中に傷を負ったような気がするんだけど、何か彼から聞いた?」
マーゴットがクセインに言った。
「いや、彼は何も言わない。昔、彼がテヘランに居た時も何か悩みを抱えているようだったので、聞いたことがあった。結局、何も話さなかった。そんな奴なんだ。
確かにマギーが言うように何かあるんだろう」
「デュークは、わたしたちの命の恩人よ。Mitsui&CO.の裏切りの時、デュークがテヘランに来てくれなかったら、わたしたち、あの迷路の牢に入れられて、もうこの世にいなかったかも知れない。あの時、SAVAKの残党が革命政府側に寝返り、シャーと事業をやっていたアメリカ人狩りをしていた。その中をデュークは堂々とSAVAKに乗り込み、自分が罪をかぶり、わたしたちを助けてくれた。
お陰でデュークは一ヶ月も尋問責めに遭ったのよ。同じ日本人でも、平気でパートナーを売る商社マンが多い中で、デュークは商社嫌いのメーカーの人間だったけど、自分を犠牲にして、外人のわたしたちを助けてくれた。今、わたしたちが彼の力になってあげないと・・・」
「そうだなあ。彼と一緒にイランに行ってみようと思っているんだ。あの頃、彼と一緒にカスピ海のディーラー回りの旅をよくしたもんだ。テヘランからカスピ海に抜ける一番の近道がアモール経由でチャルースに出るルートなんだが、阿呆なドライバーが反対車線を猛スピードで追い越してきて、危うく二千メートルの崖下に落ちそうになったことがある。あの時は、もう二人とも駄目だと思ったよ。エルボルズ山脈はアルプスより高い山ばかりなんだから」
クセインは懐かしそうにマーゴットに話していた。
そっと階段の上から聞いていた村気は目頭が熱くなった。
「そうだ、クセインと一緒に、もう一度カスピの旅をしよう」
村木は思った。
ある日、村木がクセインに言った。
「もうゴルフ三昧も飽きたから、今度はクセインの狩猟に付き合おう。憶えているかい、冬のアモールのスキー場を越えた所で、君がサーチライトで山肌を照らし、猪を見つけて射殺したろう。あそこへ行かないか」
クセインは笑いながら、「何を言ってるんだ!あの時、お前は俺を罵っただろう。ETO と言ったっけ。要は Twelve Zodiac in Chinese Astrology なんだが、自分のZodiacは猪だと言って、猪を射殺したら怒っていたじゃないか」
「そんなこともあったなあ」
村木は無性にエルボルズの山々を見たくなった。