第七章 さらば!サラリーマン日本

大企業のサラリーマンの本性を、目の当たりに見てしまった村木は、何とも言えない虚無感に襲われた。
それまで、義憤に燃えるエネルギーを燃やし続けてきた炎が、すっと音もなく消えていく感じだった。
安川の二枚舌、またその安川にへばりついて何とか自分の尻についた火を消すために恥も外聞も投げ捨てた嶋武男。
会社の権力者とその下で奴隷のように、こぎ使われる多くの社員たちと思っていたが、実はみんな同じ、羊の皮を被ったスカンクだったことを知った時、もう未練などまったく無かった。
「お客さま。お飲みものは、何になさいますか?」
今まで、ナショナルフラッグの日本航空しか乗らなかった村木だったが、高田化学の出来事は、日本の大企業のすべてでやっていることだと知った瞬間、日本に対する愛着も消失してしまった。
ユナイテッド航空に乗って、村木はシカゴに飛び立った。
高田化学を辞める二十年ぐらい前から、海外の仕事に従事していたから、海外の友人はたくさんいた。
革命前のイランで親しくしていたイラン人とドイツ人の夫婦が、今ジョージア州のオーガスタに住んでいる。
奥さんがドイツ系アメリカ人で、旦那のイラン人がミシガン大学に留学していた頃に知り合い、革命前まではテヘランで住んでいて、村木もテヘランに駐在して、よく家に招待されては、奥さんの手料理をご馳走になっていた。
イラン革命で、国王側に与して事業を展開してから、革命の指導者ホメイニに睨まれ、止む無くアメリカに逃げるしかなかったのだ。
アトランタ空港のゲートを出て、すぐに携帯電話でオーガスタのコセイン・グラブチに電話をした。
「ミスター村木。何だ、今どこにいるんだ?」
村木は、何も連絡せずにアトランタ行きの便にシカゴで泊まらずに乗り換えた。
「今、シカゴからアトランタに着いたんだ」
コセインはびっくりした様子で、「何で連絡してくれないんだ?連絡してくれたらアトランタまで迎えに行ってやったのに。だけどお前は、いつもこういうスタイルだったな。急に空港から電話して、今から行ってもいいか。というやつだ」
「すまん、びっくりさせて。もしOKなら今からレンタカーでオーガスタまで行くけど、いいかな」
「もちろん、Most Welcome だ。だが疲れていないか?アトランタからオーガスタまで車だと二時間以上かかるよ」
「ああ、行き方は分かっているから大丈夫だ。オーガスタ・ナショナルのすぐそばに今でも住んでいるんだろう?」
「そうだなあ。何度もここに来ているから大丈夫だな。それじゃ待っているよ」
車でオーガスタに向かうフリーウェーに入ると、コセインが高田化学に来て、言ったことを思い出した。
あれは十五年前のことだった。
「ミスター村木。俺は日本のサラリーマンという人種は絶対に信用できない。お前はサラリーマンじゃないからな。お前の前の担当の奴らは、俺と仕事をしている時は"ミスターコセイン"と寄り添って来るが、自分が担当を離れると、俺がこうやって会社を訪問していることを知っていても知らん振りだ。こんな人種は日本のサラリーマンだけだ」
彼は日本企業と合弁会社をやっていただけに日本語を結構知っている。
サラリーマンという言葉も知っていて、しきりにサラリーマン言って、大企業、特に大手総合商社の奴らは上から下まで、低劣極まりない人種だと思っている。
村木も、彼の言うことには全面同意できると思っている。
イラン革命が起きて、彼の会社や彼個人が革命政府に、締め上げられていた時、日本最大手の商社が、彼を裏切って革命政府に彼を売った事件があった。
腹を据えていたら、何とでも逃げられたのに、根性が座っていないからゲロを吐いたのだ。
結果、彼はイランに、おれなくなってアメリカに逃げざるを得なくなった。
元を糺せば、日本の総合商社の破廉恥行為で、亡命の憂き目にあったのだ。
村木もあれ以来、商社、特に大手総合商社の人間だけは絶対に信用できない人種だと確信していた。
フリーウェーの23番ジャンクションを出た信号の処で、コセインが待ってくれていた。
「民族や人種ではなく、結局個人の問題だな」
村木は車の横で立っているコセインを見て、そう思った。