第三十七章 謎の乗客

数枚のFAXの中に*印のついた名前が数人いた。
乗客名簿の名前を見たアバスの顔が真っ青になり、名簿を持った手ががたがた震えていた。
「どうしたんですか?」
ジャミールがアバスの様子を見て尋ねたが、アバスの唇は真っ青だった。
「亡くなったホメイニ師の最高弟子であるムラ・ボンガ・スメイニの名前が入っていました」
ジャミールは、その名前を聞いても、一体何者なのかさえわからなかった。
「ボンガ・スメイニ師という人は、そんなに重要人物なんですか?」
ジャミールがアバスに聞くと、
「スメイニ師は、ホメイニ師がパリ、バグダッドと亡命中も、一番の側近といわれ、パーレビ王朝を実質崩壊させた人物と言われており、そのバックにはCIAがいたという話しです。ホメイニ師が存命中は、一切表面には出ていなかったのですが、イラクとの戦争が勃発すると、当時は共和党のレーガン政権で反米体制だったのですが、アメリカの応援を得る為に、イギリス政府による中継ぎ依頼に奔走していたのです。それが今回・・・」
アバスが、その後が続かないのを察した村木が、替わりに話した。
「エリザベスがスメイニ師と一緒にロンドン行きの便に乗った。という訳ですね?」
アバスは深刻な表情で言った。
「まさかエリザベスの乗った便にボンガが一緒だったとは知りませんでしたが、多分そうだと思います。エリザベスから何か聞かれなかったですか?」
冷静な顔をした村木は、「いいえ、彼女からは一言もそんな話しは聞いておりません。ただ大英博物館に強力なコネで勤めることが出来たと彼女は言っていましたから、その強力なコネと言うのはレーガン当時のイギリス政府だったのですね?」
「ええ、その通りです。しかし今回のイランへの帰国は、あなたがテヘランへ来た報せをジャミールから聞いたのが理由であることは嘘ではありません。ただ、あの日のことを思い出してみますと、エリザベスは村木さんと逢える機会は今晩しかない、翌日にはテヘランからロンドンに帰らなければならないと申しておりました」
「スメイニ師のことは、あなたも良くご存知なのですか?」
村木が更に尋ねると、アバスは頷いた。
「ボンガは、わたしの親友なのです。彼もマシャッド出身で、あの有名なブルーモスクの最高指導者でした。わたしたちはマシャッドで育った幼な馴染みだったのです。
イスラム教シーア派の最高聖地はコムではなくマシャッドですから、彼は若い時から、将来の偉大なムラと嘱望されていました。ホメイニ師はコム出身で、マシャッドのブルーモスクで二人は出会い、意気投合して腐敗したパーレビ政権打倒を目指したのです。しかし、ボンガは実戦派でパーレビ政権を打倒するにはアメリカの協力が絶対に必要だと考え、ホメイニと意見が対立したのですが、ホメイニ師も革命が成功するまではスメイニに任せていました。革命後は、スメイニとホメイニは袂を分かつ形にはなりましたが、お互いに尊敬はしていたようです。
レーガン時代にアメリカ大使館人質事件が起きた時も、スメイニがイギリス政府に働きかけ解決したのです。しかしその後、イギリス政府が変わり、レーガン政権も変わり、アメリカ政府とのパイプも細くなっていったボンガは、徐々にCIAやFBIから疎ましい存在とみなされるようになっていったようです」
「エリザベスはスメイニ師の秘書を依然続けておられたのですか?」
村木は一番の核心に迫っていった。
「大英博物館の仕事が主であることは確かですが、ボンガがイギリスに行くことがあると、同行していたようです。ボンガはほとんどマシャッドで生活していましたから、秘書ではなかったと思います」
村木は、大体の筋書きを理解したが、何故、あの便に二人が乗ったのかが依然謎だった。
かつてパーレビ政権は親米政権であったという建前とは裏腹に、実質は反米で、革命を起こされた。
革命政府は、徹底して反米であったが、裏では手をつないでいた。
政治の世界、特に外交となると、一般社会からしたら、まるで伏魔殿だ。
ただエリザベスが積極的に、その伏魔殿の住人になってはいなかったことが確認出来たのが、村木にとって一番の救いだった。
それと、ハマスからのFAXで、発見された遺体のリストにパイロットやファーストクラスの乗客が無く、依然行方不明だと書いてあったことだ。
「まずスメイニ師と一緒にファーストクラスに乗っていたことは間違いない。道義的感情が働いて同行したのだろう。彼女の律儀さから考えれば想像に難くない」と思った。
「そうなれば、エリザベスを救い出すことに集中すればいい」
村木は気持ちが楽になった。
その時、ドアをノックする音がした。
「マリアン!彼らのことを忘れていたよ!」
「まあ、そうだったわ!」
マリアンは急いでドアを開けた。
ドアの前に例の二人が、青い顔をして立っていた。外は猛烈な寒さになっていて、凍傷でひどい目にあっていた乾記者が我慢しきれなくなってドアをノックしたのだ。
「ごめんなさい!」
と言って謝るマリアンに、「いえ、とんでもございません。まだ、わたくしたちが邪魔なら、外で待っております。ええ」
と言って、乾記者は倒れて気を失った。