第三十六章 ハマスからのFAX

夜の七時に、マリアンたち家族が住んでいる家に三人は向かった。
途中で、例の乾記者から、村木の携帯電話に連絡が入った。
「もしもし、徳売新聞の乾と申します。平素は格別のご愛顧賜り誠に大慶至極に存知上げております。ええ」
苦笑しながらも、「この男の脳味噌は軽石みたいだ。硬いが軽い。これは死ななきゃ治らんようだ」、村木は思った。
「どうしたんだい。もうこちらに向かっているのかい?」
村木が聞くと、
「はい。今からモンテローザホテルを出るところで、タクシーを待っているところでございます。ええ」
「タクシー?何を言ってるんだ。歩いても10分もかからないよ。ホテルの前にドミノというゴールデンレトリーバーの犬が君たちを待っている。彼が家まで案内してくれるよ。ドミノを見たら、ラットと言えば連れて行ってくれるから。すぐに今から出るんだ」
「ええ!犬が案内して下さるんですか?それは、また光栄でございます。ええ」
村木は、あきれて言った。
「あのイラン航空のモセイニはどうしている?」
「はい、それで報告をと思って電話をさせて頂いたのです。ええ。
彼氏は、その後部屋に閉じこもったままで、わたくしがホテルのフロントとオペレーターをまた100ドルで買収しておきましたから、電話の内容を逐一、わたくしめに報告させるように取り計らっておきました。ええ」
こういう点はなかなか機転が利く男なのだ。
「それは、いい戦術だね。ご苦労さん。まあ早くこちらに来たまえ」
電話を切った時には、マリアンの家の前に立っていた。
村木は柵の門を開けて中庭に入って行った。そしてドアをノックすると、マリアンの父のハインリッヒがドアを開けてくれ、笑って村木を抱きかかえた。
「デューク!久しぶりだね。よく来てくれたと言いたいが、今回は知人の娘さんが墜落機に乗っておられたんだって?みなさん、どうぞ中に入ってください」
ジャミールとアバスも挨拶した。
結構大きなリビングルームがあり、その横に十人は座れるダイニングテーブルがあった。
村木は、懐かしいと思った。
ツェルマットに来ると、いつも家に招待され、夕食や、時には朝食までご馳走になったことがある。
中東の国々を数ヶ月間行商すると、心身共に疲れ果てる。
その後、ツェルマットに寄って心身の疲労を癒すのに、彼ら家族は親身になってくれた。
リビングルームのソファに座っていると、マリアンが料理の手伝いをしていたのか、かわいいエプロンをつけて出て来た。
「いらっしゃい。今日はわたしの自慢の手料理よ。彼氏も呼ぼうかと思ったけど、重要なことがあるので、止めたの。まだFAXは届いていないわ」
十八才にしては、本当によく気の利く子だと、村木は思った。
エリザベスが大人の魅力の中に、幼さがあるとするなら、マリアンは逆に可憐な少女の中に大人の色気を漂わせていた。
村木は、エリザベスのことは、まさかと思っていただけに感激はしたが、あの夜、カスピの海を見ながら彼女を抱くまでは親しみはなかった。
マリアンは少女の時から、村木を慕ってきたから、それだけ親しみは強かった。
村木の携帯電話が鳴った。
「もしもし。徳売新聞の乾忠則でございます。今ドミノさんに案内して頂いて家の前におります。ええ」と言った途端に、ドミノが外で吠えた。
マリアンがドアを開けると、乾記者と上田カメラマンは、急に顔の表情が変わって、いつものおどけた感じが消え、真面目な表情になった。
その時、リビングルームの角のところに置いてある電話の音がした。
「FAXだわ!」
マリアンは、ドアを閉めて電話の方に走って行った。
家の外で、ドアを閉められた二人は、黙って待っていたが、誰も開けてくれない。
村木たちは、ハマスからの乗客リストのFAXに気を取られて、二人のことを忘れていた。
数枚のFAXがプリントされて出て来た。
「間違いなく、乗客リストだ」
ジャミールは叫んだ。
村木は、真剣な眼差しに変わっていった。
マリアンの家族たちも、ドミノも、息を止めてその様子を見ていた。
その時、ドアのノックがした。
しかし、誰もその音に気づかなかった。