第三十四章 マリアンとドミノ

ツェルマットの駅に着いた三人は、イラン航空が手配したホテル・アルペンブリックにタクシーで向かった。
登山鉄道の駅の前にある広場から、電気自動車のタクシーでマッターホルンの方に向かっている道路を走ると教会があって、そこで三叉路に分かれて一方はアルプスから流れている川沿いの道で、もう一方は、山側を狭い道が通っている。
電気自動車でも一台しか走れない程の狭い道を百メートルほど行くと、左右にホテル・アルペンブリックという看板が見えた。
山側の建物の階段を上がると、小さなレセプションがあった。
カウンターの中にマリアンが座っていたが、小さなロビーのソファーに背広姿の男が座って犬のドミノと戯れていた。
うしろ姿で何者か分からなかった村木は、村木の顔を見て喜びの叫び声を上げんばかりのマリアンを手で制した。
「イラン航空の手配でこのホテルに予約が入っている者ですが」
ジャミールがマリアンに向かって言った。
マリアンは気がついたらしく、「はい、イラン航空から予約を頂いている方は、アバス・タイラムさん、ジャミール・グラブチさん、デューク・ムラキさんですね?」と三人の名前を言った。
「はい、そうです」とジャミールが答えたところで、ドミノと戯れていた背広姿の男がこっちを向いた。
「すみません、ジャミール・グラブチさんですか」とペルシャ語で話してきた。
ジャミールが頷くと、「わたしはイラン航空のハマス所長から連絡を受けて、ジャミールさんにコンタクトするようにと言われてジュネーブからやって来たトカチ・モセイニという者です。何なりと仰せ頂ければ、お役に立つと思います」
ジュネーブからやって来るには余りにも速すぎると思った村木は、この男は、さきほどのハマスとの電話のことを知らないと判断した。
ジャミールもそれは分かっていたらしく、「ハマスからは、いつ連絡を受けましたか?」と問い質してみた。
「昨夜遅くにテヘランから電話をもらいまして、今朝一番の列車でジュネーブからやって来たんです」
ジャミールは村木の顔を見た。
村木はマリアンのところに行って、「すみません、わたしがデューク・ムラキと申します。部屋を案内して頂けますか?」
「ええ、もちろん喜んで」とマリアンは嬉しそうに答えて、鍵を持ってカウンターの外へ出た。
「ジャミール、僕は疲れたから先に失礼させてもらうよ」と村木は言って、マリアンと二人で五人しか乗れないリフトに入った。
「ひさしぶりだね、マリアン?ドミノと同じで、大きくなったね。ご両親や弟さんは元気かい?」
「本当に、おひさしぶりね。わたしが十三才の時以来だから、五年もご無沙汰ね。わたし、もう十八才になったのよ」
「電話で君の声だと思ったが、こんなに立派な大人になっていたとはね」
と言って、マリアンの頬にキスをした。
「いやだわ。まだわたしのこと子供だと思っているのね」
そう言うマリアンも嬉しそうだった。
三階の301号室のドアの前に立つと、階段を上がってドミノがやって来た。
レトリーバー犬のドミノは村木がかわいがっていたことを憶えていたのだ。
「いずれは、ここにも来るつもりだったが、こんな形で実現するとは想いもしなかった」
村木は運命のいたずらを不思議に思っていた。