第二十八章 恐るべき戦略家

村木は、今までの海外での体験、特に中東での綱渡りの連続の経験、アメリカのユダヤ人との蜜月時代から憎悪の関係になるまでの、日本人には想像も出来ないような価値観と発想の違いを思い知ったこと、共産主義国家・ソ連と中国との烈しい駆け引き、こういった国々の人間との二十数年間の真剣勝負は、自然にリスクマネージメントが出来る体になっていた。
考えるのではなく、直感が働くのだ。
高田化学を退社する時に起こった事件も、村木であったから会社にけじめをつけさせることが出来たのだ。
一般のサラリーマンなら、尻尾を巻いて消えていったに違いない。
村木である故に、「彼なら、会社相手でも何かしてくれるのでは」という期待が、彼を知っている会社の一部の人間の雰囲気にあったから、彼も狼になった。
彼のあらゆるケースを想定しての戦略に、会社側も最初は、裏に強烈な応援団がいると思ったらしい。
しかし、まったく一匹狼でやっていることに気づいた会社のトップは慄然とした。
そして、次から次へと打って来る戦術に、後手、後手に回った会社は、白旗を揚げた。
「村木君。君のやったことは、高田化学百年の歴史に大きな風穴を開けたことは確かだよ。それは事実を知っている者なら、誰もが認めている。表の歴史にその功績を残す者もいたら、隠れた功績者もいる。実際は隠れた功績者が一番価値のあるものだし、君の名は、そういう点では燦然と輝いている」
退社の挨拶に行った時、新入社員の頃から目をかけていた元人事部長の岩垣に、村木は言われた。
自分でも気づかない中に、恐るべき戦略家になっていた。
高田化学にいた頃に、身内の財産のことで醜い争いがあった。
村木は、八人兄弟の末子で、サラリーマンだったから、他の兄弟のように親の遺産を当てにする考えは毛頭なかったが、否応なしに骨肉の争いに巻き込まれたことがある。
長男が、理不尽にも自分の息子に一族の遺産を継がせるために汚い手を使って、他の兄弟を追放した。
それを知った村木は、狼の恐ろしさを長男に味わせたことがあり、長男は恐れをなして、新興宗教団体に逃げ込んだ。
それでも村木は手を緩めなかった。
共犯の銀行や弁護士を相手に徹底的に打ちのめした。
「村木さん、裁判に持ち込みましょう。あなたの勝ちは相手も認めています。こんな楽な裁判はないですよ」
村木は弁護士など信用していない。結局最後の止めは刺さなかった。
「今の日本の政治家、高級官僚、医者、弁護士は、ほとんど悪徳がつく」と思っていたからだ。
長男の雇った弁護士から、活字の脅迫状を受けた時、普通の者なら怖気づくのに、村木は独りで徹底抗戦して、最後はその弁護士の音をあげさせたこともある。
世界の修羅場を踏んで来た村木には、他愛のない事件であったのだ。
性格的には激情家なのだが、事が重大になればなるほど冷静になり、じっくりと長期戦略を採る。
日本の大手新聞社相手に、彼らの脛の傷を狙い撃ちして悲鳴をあげさせたことがある。
「大国相手に喧嘩するなら、ゲリラ戦法が最も効果的だ。大組織を相手にする時も同じだ。下手に仲間がいると裏切り、仲間割れが起きる。一匹でやれば情報は洩れることはない」
彼は喧嘩の仕方のバリエーションを自然に身につけていた。
「今回の敵は、大きいし、裏技も使う。今までで一番手ごわい相手だ。まあしかし何とかなるさ」
村木の強みは、彼のスローガンである、「天使でいて大胆に、悪魔でいて細心に」にある。
「しばらくは、悪魔でいて細心に。の線で行こう」と内心決めていた。
「乾君と上田君と言ったね?」
クルムホテルの中に入って、セルフのコーヒーショップで彼らの分も買ってやったコーヒーを飲みながら、村木は言った。
「はい、乾忠則と申します、ええ」
相変わらずワンパターンの喋り方だ。
青年カメラマンの上田は、そういう乾を見ながら苦笑して村木を見ていた。
「上田君、どうかしたのかい。何か僕の顔についているのかい?」
村木の鋭い質問に、上田は手を横に振って、「いえ、そんな。ええ、まあ」
と顔は冷静だが、口はもごもごしていた。
「君は、ポーカーフェースの素質があるな。それはナチュラルだね。心で思っていることが顔に表れにくいタイプだ。カメラマンをやっていると、自然にそうなるのかい?冷静に見るという癖がついてしまって。だけど、本当は激情タイプだね」
自分でも判っていなかったことを、指摘され、あぶり出しされて驚いている様子だった。
「君は、いいスナイパーになれるよ」と言って村木は笑った。
その横で、自分の話題から上田の話題に変わって、必死に取り戻そうと顔をくしゃくしゃにしている乾が口を曲げて何か言いたげであった。
「乾忠則君は、下半身がしっかりしているね。君は足で稼ぐタイプだから、記者にはぴったりだ。君の上司の高本編集長はなかなか人を見る眼があるよ」
「あ!そうですか。お誉めに預かって有難うございます。ええ」
村木と上田は苦笑した。