第二章 役員と総会屋

村木は、大手化学薬品会社・高田化学の子会社で販売会社の大阪支店長をしていた。
平成五年八月七日。
「村木支店長、宇多セメントの大友さんという方から、お電話です」
電話を取ったのは営業第二課の女子社員で村木の秘書も兼ねている佐藤智子だった。
「宇多セメントの大友さん?知らないな。まあいい、繋いでくれ」
支店長席には電話が二台置いてあって、社内専用と外線用とがある。
外線用の受話器を取った村木は、警戒しながら話した。
訳の分からないしつこい売り込み電話が多いからだ。
「もしもし、村木ですが」
「もしもし、突然お電話しても申し訳ありません。わたし宇多セメントの資材部の大友と言います。いつも御社の橋本社長と森課長さんには、お世話になっております」
村木はやっと思い出した。
本社常務で販売会社・高田化学販売の社長である橋本が、村木の部下である森課長と売り込みをかけているのが宇多セメントで大友は資材部長だった。
橋本と森は親会社時代からよく知っている仲で、今回の宇多セメントへの売り込みを二人で積極的にやっていることだけは、部下の森課長から聞いていた。
ただ不思議に思ったのは、支店長で営業部長でもある村木を橋本社長が、この案件からはずそうとしているのだ。
もともと技術屋で、村木のような営業のエキスパートでないから、社長直々の営業活動をしているのが、気恥ずかしいのだろうと思っていたから、敢えて頭を突っ込もうとはしなかった。
ただ気掛かりだったのは、名前だけは聞いたことがある、高田化学のいわゆる与党総会屋が昔から一人いて、その人物の名前は児玉といって、橋本とはかなり古い付き合いらしいことは耳に挟んだことがある。
その児玉という人物が宇多セメントの与党総会屋でもあるらしい。
そこで児玉を使って宇多セメントにトップセールスをかけていると聞いていたのだ。
「いいえ、とんでもございません。こちらこそお世話になっておりながら、支店長としてまだ一度もご挨拶をしていませんこと平にご容赦願います」
電話の向こうで、誰かと話しをしているらしく、何か揉めている様子だったので、村木は黙って相手が喋り出すのを待っていた。
「どうも失礼いたしました。村木支店長さん。勝手な申し入れなんですが、今日是非ともお会いしたいのですが。そちらにお伺して構わないでしょうか?」
村木は営業のプロだから、一瞬嫌な予感がした。
「お客さまに来て頂くなんてとんでもございません。わたしの方から伺わせて頂きます。何時頃がご都合がよろしいでしょうか?」
午後三時、村木は宇多セメントの本社の前に立っていた。
何とも言えない憂鬱な気持ちで本社ビルの中に入っていった。
応接室に通された村木は、既に大友部長ともう一人同じ年頃の人間が座って待っていたのを見て驚いた。
「どうも申し訳ございません。遅れましたでしょうか」
電話を受けて村木はすぐに支店を飛び出したのだ。
「いいえ、村木さんに電話を差し上げたのもこの部屋からです、聞かれるとまずいもんですから」
自分の推測が当たっている確信を持って心の中はますます暗くなるのを、隠して作り笑いをしながら、ソファーに座った。
「どうぞ、用件をずばり言ってください」
村木はぐずぐずして、優柔不断なのが一番嫌いな性格だ。
「では。実は御社の製品を、わが社のトップの方から買うようにと、強い指示がありまして。どんな力が働いているのか私どもはよく分からないのですが。
出来れば、御社の製品をと思って検討をしたのですが、これがまったく我々の要求仕様に合ってない製品でして、買っても何の役にも立たないのです。しかし上から強い圧力がかかって困り果てているんです」
一瞬怒りが込み上げてきた村木だった。
「いくらわが社の製品といえども、御社の役に立たないようなものなら、お買いにならない方がいいのでは?」
「それで、村木支店長さんに相談したいと思ったのです」
「何故、わたしの会社の橋本社長にずばりお断りにならないんですか?」
その時、そばにいた人物が口を開いた。
「児玉さんと言う方をご存知ですか?」
「総会屋の児玉さんですか?名前だけは聞いたことがあります。確か、わが社も御社も児玉さんと付き合いをなさっているようですね」
「あの方が強く御社の製品を買うようにと言っておられ、困っているのです」
サラリーマンは情けない職業だと、つくづく村木は思った。
「趣旨はよく分かりました。わたしの一存で、今回の商談は申し訳ございませんが、手を引かせて頂きます。それでよろしいんでしょうか?」
二人は村木に向かって深々と頭を下げた。
「止めてください。わが社が不条理なことをしたのですから、わたしが謝らなければなりません。誠に申し訳ないことを致しました」
ビルを出た村木は、時計を見ると既に五時を過ぎていた。
「もう今日は、直宅だ。どっちみち明朝、橋本から電話が掛かってくるはずだ」
村木はタクシーに乗って自宅の西宮に向かった。
翌朝、支店に出社すると、
「支店長さん。おはようございます」
囁くような声で佐藤智子が近づいて来た。
一瞬、何か告白でもされるのかと思った村木だったが、その後の言葉で興ざめした。
「橋本社長さんが、来られていて、支店長が来られたら応接室に来るようにとのことです」
「分かった」
「まさか、東京からわざわざ来るとは思わなかったなあ」
応接室にノックもしないで、村木は入っていった。
「村木君!君は社長直々の営業活動を妨害するつもりかね」
橋本という男は、何か深淵な底のない谷のような薄気味悪い目をしていると前から思っていた。
一見、善人そのものの振りをしているが、前から村木は、「この男は、羊の皮を被った痩せ狼だ」と思っていた。
児玉から罵倒を浴びせられたらしい。
興奮して児玉の名前を頻繁に口走る。
村木の内ポケットではテープレコーダーが回っていることも知らずに、村木を支離滅裂な論理で責め立てる。
「橋本さん。あなたは高田化学の常務取締でしょう。そんな方が総会屋に指定されている児玉さんと会うだけでも問題なんじゃないですか。それを児玉さんを使って脅迫営業をして何とも思わないのですか?高田化学の恥ですよ。わたしは、そんな恥さらしの役員の尻拭いをしてあげたんです。礼ぐらい言ったらどうなんですか!」
カッときた橋本社長は、
「君ねえ。児玉さんという方は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
言ってはならないことを言いまくる橋本社長に、村木は最後に言った。
「もう充分喋られましたか?まだあれば喋ってください」
と言って胸のポケットからテープレコーダーを取り出して橋本社長の前のテーブルに村木は置いた。そしてそのテープレコーダーを持って呆然としている橋本社長を置いて部屋を出ていった。
「あいつは羊の皮を被った狼ではなく、どぶねずみの皮を被ったスカンクだ」
村木は吐き捨てるように言って支店を出ていった。
「支店長さん!どこへ行かれるんですか?」
佐藤智子が追いかけて来た。
「パチンコでもしてくるよ!」とニタッと笑ったら、心配そうな表情の智子も笑った。
「頑張ってきてください」
「あいよ!」